尊き リンチェンドルジェ・リンポチェ 略歴

殊勝証量 稀世珍宝
教派護持 法脈振興
金剛体性 慈悲度衆
弘掦正信 法輪常転

殊勝証量 稀世珍宝

寶吉祥仏法センターの金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは、直貢噶舉教派第37世チェツァン法王の根本弟子です。インドの菩提寺で度々閉関修行をなされた折は、すべてチェツァン法王による指導を受けました。また、チェツァン法王より「大手印心法」を授けられ、直貢噶舉教派の数々の灌頂を受けました。1999年4月、チェツァン法王自らリンチェンドルジェ・リンポチェの為に盛大な昇座大典を行って法帽法衣を賜り、寺院すべてのリンポチェとラマ僧の前で、リンチェンドルジェ・リンポチェが直貢噶舉教派の伝法上師であることを認めました。リンチェンドルジェ・リンポチェはチベット仏教直貢噶舉教派の歴史で唯一、漢民族出身の在家伝法上師であります。チェツァン法王のほか、直貢噶舉教派のテンジン・ニンマ・リンポチェとユンガ・リンポチェもリンチェンドルジェ・リンポチェの根本上師であります。この2人のリンポチェは、長らくチベットで閉関修行を行っており、他の人との接触がない状況であったにも関わらず、特にリンチェンドルジェ・リンポチェのために灌頂を行い、岩藏密法を授けました。リンチェンドルジェ・リンポチェは、テンジン・ニンマ・リンポチェにとって唯一の在け弟子です。ユンガ・リンポチェは2005年、リンチェンドルジェ・リンポチェが「大手印離戯瑜珈」の果位を得たことを認めました。

リンチェンドルジェ・リンポチェは長年、台湾での仏法推進に尽力し、1997年には「寶吉祥仏法センター」を設置しました。「宝吉祥」は直貢噶舉教派の偉大な宗祖ジッテン・サムゴンの法号で、チェツァン法王が賜った名称であります。チェツァン法王が自ら認可書をしたためました。それには「寶吉祥仏法センター」は直貢噶舉教派を代表して正しい仏法を広めると書き記されています。寶吉祥仏法センターでは、1000名以上の弟子がリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依しており、現在の直貢噶舉教派で最大規模の、人数の多い仏法センターであります。道場の床面積は1000平方メートルにも及びます。2004年、チェツァン法王は多くのリンポチェとラマ僧を連れて台湾に来られ、自ら「寶吉祥仏法センター」の新道場完成開光法会を行いました。法王は法会の席で、宝吉祥の弟子達の求めに応じ、「リンチェンドルジェ・リンポチェ長寿祈請文」をしたためました。2006年、チェツァン法王はまた「顔(リンチェンドルジェ・リンポチェの俗家氏名)リンポチェはわが弟子の中で最も秀でています。彼の修行は自然に修めえたもので、良く学び、良く修めています。それは、わが教派の大成就者テンジン・ニンマ・リンポチェと同じであります」と述べました。近年の大法会では、リンチェンドルジェ・リンポチェは常に法王のそばに座り、法会の進行中も法王と行動をともにしています。これは、リンチェンドルジェ・リンポチェの果位を顕著に示すものであります。直貢噶舉教派の公式サイトでも、リンチェンドルジェ・リンポチェの果位は明確に認められています。

チェツァン法王は2006年、自身が施身法を修めるときに使う重要な法器を、リンチェンドルジェ・リンポチェに授けました。これは、リンチェンドルジェ・リンポチェがすでに、法王の施身法の法脈を伝承したことを意味します。同年、法王はリンチェンドルジェ・リンポチェにガムポパ法帽と五方仏法螺を下賜しました。法王はまた、リンチェンドルジェ・リンポチェに、カジュ派の宝瓶と祥雲の標識を黄金で鋳造して、ガムポパ法帽に飾り付けるよう指示しました。それは、リンチェンドルジェ・リンポチェが直貢噶舉法のすべての教えを広める果位を持ったことを意味します。

2007年5月から8月まで、リンチェンドルジェ・リンポチェはチェツァン法王の指名を受けて、直貢噶舉教派の祖師密勒日巴尊者が修行した聖地ネパールのラーキ雪山で、法王の指導の下で、3ヶ月間の閉関修行を行いました。閉関修行が円満に終了した際、法王はリンポチェに「リンチェンドルジェ・リンポチェ」という法号を授けました。これは「宝金剛リンポチェ」という意味であります。チェツァン法王から法号を授けられるということは、このうえなく光栄なことであります。「リンチェン」とは無数にある宝物の精髄を意味します。また、「ドルジェ」は金剛を意味し、「リンチェンドルジェ」とはつまり宝金剛で、衆生に利益するという心と仏法事業にかける意気込みが、金剛のように堅固で、いつまでも変わらないと言う事を意味しています。このときの閉関で修めた本尊は喜金剛であります。これは、マルー・パ聖者の成就の法であります。これは直貢噶舉教派において、200~300年間伝承されてこなかったものでありますが、チェツァン法王は3~4年かけてこれを収集・整理し、リンチェンドルジェ・リンポチェにこれを授けました。このときの閉関修行におけるもっとも意味のあることは、リンチェンドルジェ・リンポチェは直貢噶舉教派の歴史において初めて、法王について閉関修行し、喜金剛本尊を修めたリンポチェとなったことであります。閉閑が円満終了後、チェツァン法王は自らりんチェんドルジェ・リンポチェを率いて三日の火供を修めました。(このときの閉関修行の詳述については、最新ニュースを参照のこと)

2008年、リンチェンドルジェ・リンポチェはチェツァン法王の指導の下で、京都で「直貢噶舉寶吉祥仏法センター」を設けました。日本のこの道場は直貢噶舉教派が初めて日本で建立した道場であるのみならず、チベット伝統仏教の四大教派が日本で建立した初めての道場です。尊き チェツァン法王は、寶吉祥仏法センター住持上師 リンチェンドルジェ・リンポチェの招請に応えて、2008年5月29日に開光大典を執り行いました。今回の盛事のために、リンチェンドルジェ・リンポチェは自らインドに赴き、法王を台湾に迎えました。そして、日本の京都お連れして、開光大典の主催をお願いしました。開光大典で、法王はネパールのラチ雪山聖地から迎えた長寿仏像、および経典一冊を リンチェンドルジェ・リンポチェに贈られました。長寿仏がここに迎えられた事は、ディクン・カジュ千年正統の伝承を象徴し、日本において広められることを意味します。開光式を終えてから、チェツァン法王は リンチェンドルジェ・リンポチェを率いて、道場の庭園で火供の次第を行い、虚空無数の衆生に仏法の利益を齎されました。

教派護持 法脈振興

直貢噶舉教派の台湾での仏法事業の基礎と仏法センターの設立は、チェツァン法王が1988年に初めて台湾を訪問したことをきっかけとします。また、リンチェンドルジェ・リンポチェとも非常に深い因縁が有ります。

一、1988年末、法王は仏法を広めるため、初めて台湾を訪れました。リンチェンドルジェ・リンポチェは当時、まだ法王と会ったことがなかったのですが、友人を通して台湾元10万元を供養していました。法王はリンチェンドルジェ・リンポチェと会うなり、直ちに「金剛薩埵」法門を口伝しました。その後、リンチェンドルジェ・リンポチェは法王に皈依し、岩蔵密法の修行を始めました。1989年、台北において台湾で初めてとなる、直貢噶舉教派の仏法センター「直貢噶舉教派顕密精舎」を創立。リンチェンドルジェ・リンポチェはこれに資金的な援助を行うとともに、護法会の会長に就任しました。1993年、直貢噶舉教派は内湖に仏法センターを創立。「直貢噶舉教派顕密精舎」の仏像などを、リンチェンドルジェ・リンポチェによる資金的な援助のもとで、内湖の仏法センターまで移転させます。リンチェンドルジェ・リンポチェはその後毎月、同センターで必要な資金を援助しています。

二、2001年、直貢噶舉教派の「金剛の舞」の全台湾巡回公演を主催した折、リンチェンドルジェ・リンポチェは中国語ができないラマ僧たちが台湾出演の間、不便な生活を強いられるのではないかと憂慮。中国語のできるリンポチェ1人を派遣して、ラマ僧たちに同行させるよう法王に願い出ました。法王は、僧格滇增リンポチェを派遣しました。「金剛の舞」の台湾公演終了後、リンチェンドルジェ・リンポチェは、直貢噶舉教派の内湖センターにまだ住職のリンポチェがいなかったことから、法王に僧格滇增リンポチェを住職として台湾に滞在させることを提案しました。法王はこの提案を受け入れ、僧格滇增リンポチェを内湖センターの住職に任命しました。

三、2001年、滇貝リンポチェがインドにおいて、法王に対してチベット式テントを供養。その後、法王とリンチェンドルジェ・リンポチェと滇貝仁リンポチェはこのテントの中で昼食を取りました。このとき法王は、滇貝仁リンポチェに対して、今後、台湾で仏法事業の推進に努めるよう伝えるとともに、リンチェンドルジェ・リンポチェに対し、彼を手助けするよう指示しました。このため、リンチェンドルジェ・リンポチェは、滇貝仁リンポチェが台北で「竹節仏学会」を創立することに協力しました。青海玉樹にある「竹節寺」の一部の仏像や建設は、リンチェンドルジェ・リンポチェが資金的援助を行ったものであります

リンチェンドルジェ・リンポチェは、全力を以って直貢噶舉教派の仏法事業を護持するほか、仏法の推進や直貢噶舉教派の法脈の振興においても尽力し、数々の仏法事業を行っています。リンチェンドルジェ・リンポチェの教派に対する貢献については、「教派を護持する事例」を参照のこと。2001年、インドのデラドーンで直貢噶舉教派の巳年大法会を行った際、チェツァン法王は、リンチェンドルジェ・リンポチェが教派の為に力を余す所無く出していると公の場で賞賛しました。2003年、ソンツェン図書館の開光式典で、チェツァン法王はダライ・ラマ、サキャ法王、各教派の代表、国際名士たちの前で、リンチェンドルジェ・リンポチェが直貢噶舉教派の重要な弟子であり、法王の愛弟子であると述べました。法王はまた、特にリンチェンドルジェ上師を指名して、ダライ・ラマの主法する観世音菩薩灌頂法会で、教派を代表してダライ・ラマに法会円満のマンダを捧げさせました。このときダライ・ラマは、両手でリンチェンドルジェ・リンポチェの頬を包み込み、長く加持しました。2008年インドのデラドンの「恆河大手印」口訣法会に、法王は自ら特別にチベット語、中国語及び英語で、各国からの参列者の前で、公然と以下の如くリンチェンドルジェ・リンポチェに褒め称えた。「簡単に話せば、寶吉祥のリンチェンドルジェ・リンポチェは1988年に出会って以来、ずっと私の根本弟子で、すでに20年になる。その後絶えなく伝承を助け、非常に敬虔であり、チベットのディクの主寺の金頂をつくり、インド、ヂャンチュウブリンの仏寺及びソンツェン圖書館を助成し、直貢噶舉で助けを必要とする寺院と閉関センターに多くの助けている。ゆえに私は此処で彼が教派の為に大きな力を出した事を表彰する。又此処で、寶吉祥の作業人員は、リンチェンドルジェリンポチェの引率の下で、非常に敬虔で苦労を惜しまず、各事々で発心をしている。この度の世界和平点燈もリンチェンドルジェリンポチェが弟子たちと共に遥遥台湾から持ってきたものである。インドで直貢噶舉が必要とするものは、事の大小に関わらず、リンチェンドルジェリンポチェが助けてくれる。私はこの機会を借りて、感謝の意を表し、リンチェンドルジェリンポチェにハタを一つ差し上げたい。阿弥陀仏!」

チェツァン 法王は数多の場合でリンチェンドルジェリンポチェがディクの主寺蔵経閣の金頂護持した事をを褒めている。この金頂はジッテン・サムゴン祖師が800年前に建立し、その後何回か修繕している。嘗てチェツァン法王はこう予言したことがある、金頂が修復されれば、直貢噶舉教派は大いに栄えるであろうと。リンチェンドルジェリンポチェが法王の修復の指示を受けた時、資金調達のあては全然なかった。ただ上師に対する無限の信心と努力で以ってことに臨んだ。そして、2000年にはこの任務を果たした。この何年かで、直貢噶舉教派世界各地の仏寺やセンターは活気を帯びて発展し、教法は広く流伝している。此処に法王とリンポチェの師徒2人が心をあわせ、仏法と教派を広める殊勝な成就が見られる。其れは法王が公に話したが如く、法王とリンポチェが永久に一つに居れば、仏法の大通で更に数多の衆生を利益するだろう。

リンチェンドルジェ・リンポチェは全力を以って直貢噶舉教派の仏法事業を護持するほか、仏法の推進や直貢噶舉教派の法脈の振興においても尽力し、数々の仏法事業を行っています。例えば、直貢噶舉教派が伝承する「金剛の舞」の台湾巡回公演を主催しました。またチェツァン法王がインドで「ソンツェン図書館」を設置するのを支援するため、20万ドルを募集しました。さらに、チェツァン法王が主法する「阿弥陀仏淨土法門—ポワ法」と「本尊パルナシャバリ祛病」万人大法会を挙行。ディクンティ寺が毎年伝統的に行っている、250人のラマ僧が連続45日間、毎日24時間「六字大明呪」を唱えるという法会を護持。青海ディクン大法会を護持。青海「岩蔵八大ヘルカ」の灌頂法会を護持。1999年から2006年に至る期間には、法王および教派の数多くのリンポチェが主催する祈福大法会を何度も挙行。参列者からは 費用を一切徴収せず、必要経費はすべて寶吉祥仏法センターが負担。法会で参列者から得た供養金は、法会を主法した法王およびリンポチェに献上して、その後、各地の寺院や仏学院、チベット小学校の建設費用に当てました。各法会の参列者は1000人を超え、多い時には2000人に達しました。リンチェンドルジェ・リンポチェの直貢噶舉教派の法脈振興に対する多くの貢献については、「法脈の振興」を参照のこと。

末法時代にある現在、数多の天災、事故、戦争、流行病で死亡し、苦痛と邪道に陥る六道の衆生が大勢います。このためリンチェンドルジェ・リンポチェは大悲願を発起し、2005年から毎年、「直貢噶舉教派岩伝阿弥陀仏無遮大超度法会」を自ら主法。六道衆生が輪廻の苦痛から解脱するのを助けます。この殊勝な法会は、チェツァン法王の許可を得たものであるほか、数多くの大成就者の加持と祝福を受けました。「阿弥陀仏大超度法」は直貢噶舉教派の岩伝密法で、「ポワ法」の成就を得た伝承金鋼上師のみが主法することができます。チェツァン法王はこの密法を唯一、リンチェンドルジェ・リンポチェに四密灌頂されました。

2005年9月、リンポチェは自ら「直貢噶舉岩伝阿弥陀仏無遮大超度法会」を主法。直貢噶舉教派のラマ僧、弟子、信徒5000人以上が参加しました。中には多数の顕教出家衆も含まれていました。別の教派のゲシェー、ケンポス、ラマなど28名がこの法会の開催を知り、自主的に参列したことも注目されます。今回の法会は顕密両教の比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷の四衆が皆参列しました。法会終了後、リンチェンドルジェ・リンポチェはその場で台湾元100万元を寄付。会場の弟子達が寄付した台湾元352万元を合わせた452万元を、社会福祉や心身障害者の厚生など、社会厚生費用に充てるため、台湾の政府機関、内政部社会司に全額寄付しました。

2006年8月、リンチェンドルジェ・リンポチェは再び「チベット仏教直貢噶舉教派岩伝阿弥陀仏無遮大超度法会」を主催。ラマ僧、顕教出家衆、弟子及び信者など合計1万人以上が参加。法会終了後、リンチェンドルジェ・リンポチェは再び台湾の内政部社会司に台湾元468万元を全額寄付しました。その後、内政部は直ちに礼状を届け、リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝しました。

2007年9月、リンチェンドルジェ・リンポチェは第三回「チベット仏教直貢噶舉教派岩伝阿弥陀仏無遮大超度法会」を主催。参加人数は合計1万2000人に上りました。他の教派であるンガパ、顕密出家衆、および日本、オランダ、フランス、中国大陸、香港、インド、ベトナム、フィリピン、米国、カナダ、ニュージーランドなどの信者が、遠路はるばる台湾まで足を運びました。法会終了後、リンチェンドルジェ・リンポチェは再び台湾の内政部社会司に台湾元489万元あまりを全額寄付しました。この3回の「チベット仏教直貢噶舉教派岩伝阿弥陀仏無遮大超度法会」の準備にあたっては、電子メディアや平面メディアによる宣伝や広告は一切行いませんでした。ただ、寶吉祥センターの弟子達が口コミで伝えただけだったのですが、延べ2万7000人以上の信者が参与したのであります。これは、リンチェンドルジェ・リンポチェがすでに仏菩薩の広大で深い福徳、大撮受力、および衆生を救う深く広大な願力を十分に備えていることを意味しています。

2008年8月、リンチェンドルジェ・リンポチェは第4年目の阿弥陀仏無遮大超度法会を主催し、参列者数が14000 人に達し、そこにはチベット仏教の直貢噶舉教派、ヅバカジュ教派、ニンマ教派、ゲル教派等31人のガムポ、ラマ、ヨギーニ、および顕教出家衆の6人、および日本、フランス、インド、オランダ、香港などからわざわざ参加した信者らも含まれます。法会が円満に終了した後、リンポチェは参列者の供養金とご自身が寄付した金数合計416万元を内政部社会司に廻し、公益慈善社会福利事業に寄付し、社会的弱者や助けを必要としている人々の支援に充ててもらって、衆生に代わり広く善縁を結んでいます。リンポチェは過去四年に総額台湾元1800万元あまりを寄付しています。

此の4回の大法会で、宣傳の張り紙は一枚もなく、ただ寶吉祥仏法センターの弟子達の口コミで、参列した信衆の総数は延べ41000人に達し、これは、リンチェンドルジェ・リンポチェがすでに仏菩薩の広大で深い福徳、大撮受力、および衆生を救う深く広大な願力を十分に備えていることを意味しています。

非常に珍しいことに、2006年10月末、リンチェンドルジェ・リンポチェはチベット仏教の伝法上師として、インド北部シーク教区にあるパンジャブ省の最も有名な学校M.G.N.の要請を受けて講演を行いました。そして、同年度のゲスト授章者を担当することになります。リンチェンドルジェ・リンポチェは、仏法の大知恵にて開示し、現場に居合わせた記者および来賓を納得させました。地元の新聞社6社は、4種類の異なる言語をつかって、大きな見出しで「リンチェンドルジェ・リンポチェが、仏法を使って青年や学生を指導した」と報道しました。ある記者は、その場で詩を朗読し、リンチェンドルジェ・リンポチェは天が彼等に下された貴重な贈り物だと褒め称えました。リンチェンドルジェ・リンポチェは彼らの求めに応じて、2007年2月、現地で殊勝な観音法門法会を挙行しました。この法会には現地のシーク教徒500人が参加しました。シーク教の長老は、リンポチェが仏法によって彼らを導いてくれること、そして年に2回この地にやってきて仏法を広めてくれるよう要請しました。

2007年2月下旬、リンチェンドルジェ・リンポチェはインドのシーク教徒の求めに応じて、弟子200人あまりを引率して、インド・パンジャブ省で観音法門法会および阿弥陀仏無遮大超度法会を挙行しました。この2回の法会で、リンポチェはその比類ない威徳力をもって、数多くの有情の衆生を助け、現地の民衆を感動させました。現地の多く人たちにとって、リンポチェに会ったり、仏教の法会に参加するのは初めてのことでした。しかし、大勢の人たちはリンポチェに対して恭しい心を持ち、中には最高の礼儀でもって、リンポチェの頭や額、足などに触れ、心からの敬意を示しました。

2007年12月中旬、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは弟子および信徒300人あまりを引率して、日本の京都に赴き、嵯峨野観光鉄道株式会社社長の要請に応じて、トロッコ列車で施身法超度法会を行いました。法会当日の明け方、空にコロナが見られるという瑞象が現れました。法会の壇城は、トロッコの第一車両に設置されていましたが、トロッコが保津川にそってゆるゆると進む中、リンポチェは法座に登って主法し、沿線で出会った数百年、数千年来の亡者や空虚中の数多くの有情を済度しました。走っているトロッコの中で施身法法会を行うということは、チベット仏教史上、初めてのことであるだけでなく、全世界、古今東西を見ても初めての例となりました。リンポチェが主法しているとき、トロッコで法会に参加していた人たちはみな、いつもとは違う異様な寒気を感じました。これは、リンポチェの撮受力につられて、多くの衆生が済度を受け入れに来ていることを意味します。それは激しい波のように、次々とやってきました。また、リンポチェが主法しているとき、空に突然、地蔵王菩薩の瑞像が現れました。これは、衆生に利益するリンポチェの大願力および大慈悲心が、時空を超越して現れたことを意味しています。

2008年8月16日、尊き リンチェンドルジェ・リンポチェは京都寶吉祥仏法センターに於ける初めての施身法会を行いました。日本の信衆及び台湾の弟子合計80余人が殊勝な法会に参加しました。2007年12月京都のトロッコ列車上に於いて施身法を執り行なって以来、日本での第二回目の施身法会で、法会終了後、リンポチェは人の大腿骨で出来た法器で大会参列衆を加持し、また、祖師ジッテン・サムゴンの仏像を用いて、参列衆の一人一人を加持なされました。

2008年11月、再度年度祝賀大会の年度を授賞する貴賓を担当した。リンチェンドルジェ・リンポチェはと挨拶して開示した。その後で、リンチェンドルジェ・リンポチェは特別に4位のラマ、2位の出家衆及び50位の寶吉祥弟子を連れて、「極楽浄土に生まれしことを求める祈祷文」を唱えて、すべでの人々のために祈福し、場面はとても感動的だった。

2008年11月9日、リンポチェはジャランダーで殊勝な施身法法会を催し、インド人200人あまり及び台湾寶吉祥仏法センターの弟子200人近くが法会に参加した。リンポチェの根本上師 チェツァン法王は、特別に4位のラマを命じて、法王自らが使用する寶傘、法座、法机のテーブル掛け、法座背板布、楽器、ラダックからの小さい法卓等を携帯して、法会の催しに協力した。その中、リンポチェが使用する法座背板布と法卓のテーブル掛けは法王が使用するのと同じいである。リンポチェが法を修め始めた時、あたりは薄暗くなっており、しばしば雷がなり、強い風が吹き、灯火も朧にけぶったが、法会が円満に終了すると、空は晴れ渡り、月も星も輝きを増していた。これは施身法が円満に終わり、無数の有情が済度を得た瑞相である。ヂャンチュウブリン(Jang Chub Ling)からのラマも感嘆した。インドのチベット仏教の仏寺に法会を催しても、インド人が参加したことがないからだ。今回の法会はこんなに多くのインド人が参加しており、特にシーク教の教徒が多数を占めた。これは史上初めて仏教(顕教と密教を含めて)がシーク教の重鎮で催した法会である。特筆するべきは此れほど多くのインド人が参加し、しかもシーク教徒が参列して、始終席を離れず、恭しく開示を聞き、法会をまっとうした事だった。リンポチェのこの創挙は、その慈悲無私及び仏法の不思議な力により、種族、地域、言語文化の垣根を越して、遠くの衆生に利益を行き渡らせることを象徴している。

2008年8月16日、尊き リンチェンドルジェ・リンポチェは京都寶吉祥仏法センターに於ける初めての施身法会を行いました。日本の信衆及び台湾の弟子合計80余人が殊勝な法会に参加しました。

金剛体性 慈悲度衆

リンチェンドルジェ・リンポチェの願いは「一切の衆生が成仏するのを助ける」ことであります。そして呪文を唱え、「施身法」を修め「ポワ法」を成就したことで知られています。つまり、死者を浄土に済度し、衆生の病を取り払う殊勝な能力を持っていられます。チェツァン法王はかつて、リンチェンドルジェ・リンポチェの加持力は特に強いと仰せられたことがあります。ユンカ・リンポチェも、リンチェンドルジェ・リンポチェの一言の呪文は、六道一切の有情を利益すると仰っていました。リンチェンドルジェ・リンポチェは平素より衆生の求めに応じて各大病院に出入りし、患者を加持しています。そして、数々の重病患者や、医師も匙を投げた難病患者が、加持によって苦痛を和らげ、或いは病気を治して寿命を延ばしています。全世界で新型肺炎(SARS)が蔓延したとき、民衆は苦痛と恐怖に怯えていました。慈悲深いリンチェンドルジェ・リンポチェは、衆生が助けを求めていることを知り、台湾が疫病防止に努めている間、各地で絶えなく法会を行いました。法会に参加した者と、法会を挙行した地区ではみな、吉祥と息災を得ています。リンポチェは、自身が疫病に感染するというリスクを恐れず、衆生の求めがありさえすれば、直ちに病院まで駆けつけ、苦難の衆生のために加持を行っています。リンポチェは「衆生が最も私達を必要としているとき、衆生から離れることができるだろうか」と述べています。新型肺炎(SARS)に感染した患者は、リンチェンドルジェ・リンポチェの密法で病気が治ったほどです。そのうちの1人は、SARS感染患者を受け入れた病院の救急センターの主治医師であります。彼らには現在、SARS感染のための後遺症は全く見られません。

リンチェンドルジェ・リンポチェは長年、台湾で定期的に「施身法」の法会と共修法会を行い、無数の衆生を済度してきました。2000年、リンチェンドルジェ・リンポチェは法王より「施身法」の灌頂を受けて成就。2006年には、チェツァン法王から法王が「施身法」を行うときに使用する重要な法器を授かります。これはリンチェンドルジェ・リンポチェが、法王より「施身法」の法脈を伝承したことを意味します。リンチェンドルジェ・リンポチェは現在、直貢噶舉教派においては唯一の、同時に1000人以上に「施身法」を行うことができる大修行者であります。長年、数多の信徒と弟子のために、すでに死亡した彼らの親族、祖先、冤親債主などを済度し、業障を取り除いてきました。「施身法」で済度された六道衆生は数え切れないほどいます。「施身法」の法会に参加したがん患者や難病患者、長い間疾患を患っている人たちの中には、病状が改善したり、ひいては病状が消えてしまったというケースも多くあります。また、意識不明の重症患者でさえ、その家族がリンチェンドルジェ・リンポチェに対して非常に敬虔な深い信仰心をもって「施身法」の法会に参加したことから、徐々に回復に向かっています。現在「施身法」の法会に参加する人たちの数は、毎回1000人程度に達し、遠くは日本、インド、オランダ、オーストラリアから来る者もいます。

近年、福徳因縁を積んだ多くの衆生が、リンチェンドルジェ・リンポチェの「ポワ法」によって阿弥陀仏淨土に往生しました。リンチェンドルジェ・リンポチェが修持する「ポワ法」は、死者のそばにいて行う必要はなく、離れていても淨土へ済度することが可能です。リンチェンドルジェ・リンポチェの「ポワ法」が施された死者、はいずれも、法本に記載された吉兆が現れます。例えば全身が冷たくなっているにもかかわらず、頭のてっぺんにある「梵穴」が熱くなります。「梵穴」は凹み、荼毘(だび)にした後も、頭蓋骨に縁のそろった丸い穴が現れます。遺体は長時間柔らかいままで、顔色も血色が良く、安らいだ表情を見せます。また、鼻からは紅白の菩提が流れ出し、死斑は消え、遺族たちの悲しみを軽減します。また、遺体を冷凍保存している場合も、「ポワ法」を得たあとは、「梵穴」が熱くなるため、保存用の氷が解けて水が滴る現象が起きることもあります。また、死者の魂は壇城に招かれた際、最後の遺志と思いをリンチェンドルジェ・リンポチェに告げます。これは、リンポチェによって家族に伝えられます。こうした現象や、リンポチェによって伝えられる死者の遺志などは、死者の遺族によって確認されており、遺体の検視官や葬儀屋を驚かせています。かつてリンチェンドルジェ・リンポチェは、遠くインドで閉関修行をしていた際、あるいは海外で仏法を広めていた際に、台湾で亡くなった死者のために「ポワ法」を行ったことがあります。済度された衆生には、同様の兆候が現れ、周囲の人々を驚かせています。法本によると、「ポワ法」を修得すると、鳥が飛んで行けるところでありさえすれば、どこでも加持や済度ができると記載されており、これが実証されたわけであります。2007年、リンチェンドルジェ・リンポチェはネパール海抜4500メートルのミラレーパ尊者閉関聖地ラキ雪山で閉関修行をなされた折、死者の家族が台北逸仙路寶吉祥宝石店で、信心を込めてリンチェンドルジェ・リンポチェの肖像画に恭しく頂礼した結果、死者には同じように「ポワ法」が円満成就した瑞相が現れた。これはリンチェンドルジェ・リンポチェの願力、慈悲力が本尊阿弥陀仏と合い呼応して一切の信心深い衆生に利益することを顕す。

弘掦正信 法輪常転

リンチェンドルジェ・リンポチェは空性の慈悲と智慧を備え、名利に淡白で、名利をむさぼりません。そして、心よりただ衆生を利益するために正しい仏法を広めています。こうして十数年間、無数の信衆を助け、この世にある一切の困難と苦痛を軽減してきました。また、常に「直心即道場」にこだわり、いかなる衆生に対してもこびへつらうことはありません。リンチェンドルジェ・リンポチェの弘法利生は、いずれも経典の教えに即したものであり、弟子にこびへつらうことなく、法に従わない者は厳しく戒め、供養を受け取らず、甚だしきに至っては追放することすらあります。法会では、世間一般で行われているような金銭によって仏法を論じることはなく、故に法会では如何なる費用も徴収せず、衆生は一律平等であるとの理念原則にのっとり、功德主や光明灯は設けていません。常日頃より信徒からの供養金は、教派の仏法事業の護持に当てています。

リンチェンドルジェ・リンポチェは1988年にチェツァン法王に皈依し、その後、修行に精進し、戒律を厳守し、仏法を生活の唯一の規範として、ただ根本上師と教派に対して忠誠を尽くしてきました。かつてリンチェンドルジェ・リンポチェは長距離電話で、当時アメリカにいらっしゃったチェツァン法王から「上師相応法」を口伝して頂いた後、修行を開始ししました。このことはいまや、直貢噶舉教派の手本とされています。リンチェンドルジェ・リンポチェは、上師の言いつけや教派に必要なことであれば、少しの迷いもなく、全身全霊をもってこれを護持します。困難を恐れず、自分の財物や生活を犠牲にしても、目的を達成しようとします。

2008年、インドのデラドーンにあるチャン ジョブ リン寺で、貴き 直貢噶舉法王 チェツァンリンポチェがみずから主催する「恆河大手印」の口訣法会に、リンチェンドルジェリンポチェは教法伝承の尊さを重く見て、特に台湾より200名近くの弟子を連れ、みずから伝法を拝聴し、法輪が常に回ることを示した。また、法王に稀有で貴重な水晶球と貴重なタンカを供養した。その玉は直径150mmにも及び、透き通って光り輝き、丸く無傷で、大手印の意義を象徴していた。法王は、それを法卓の上に置いた。

かつてチェツァン法王はこう言った事が有ります。リンチェンドルジェ・リンポチェが「施身法」と「ポワ法」を修めて成就できた原因は三つあると。それは即ち「前世からの善根」「深く厚い禅定」「教派に対する100%の忠誠心」である。リンチェンドルジェ・リンポチェは根本上師に対し、その身と心をもって供養しています。それは、財物を以って大供養するだけではなく、仏法の修行に精進したり、衆生を利益したりすることであります。毎回閉関修行を円満に終了した後に、初めて法王に頂礼する際、リンチェンドルジェ・リンポチェは必ず「今度の閉関修行で得た功徳は、すべて法王に供養します」と唱えます。これは供養法門において、金剛乗仏弟子の上師に対する至高無上、大捨無我の供養心を表すものであります。2004年、ネパールのルンビニで行われた直貢噶舉教派の「蓮花舍利塔」の開光大典で、リンチェンドルジェ・リンポチェはチェツァン法王に3キログラムの純金で鋳造した宗祖ジッテン・サムゴンの彫像を供養しました。これはディクン・カーギ派の1000年の歴史において、初めてとなる純金の宗祖像であります。リンチェンドルジェ・リンポチェは2005年、法王の弘法行程が非常に多忙であることから、法王が疲れることを懸念して、法王のために宿泊地と車を供養して、法王の疲れを軽減しました。このようにリンポチェは法王を父のように、そして仏陀のようにみなしています。そして法王を供養することにおいては、真心と全力を尽くしています。また、自発的に、最もきめ細かい思慮をもって、仏の弟子としての最も誠実な心を捧げています。

リンチェンドルジェ・リンポチェはチェツァン法王と教派に対して、常に絶対の忠誠心を持っています。2001年、直貢噶舉教派の巳年大法会上で、リンチェンドルジェ・リンポチェは寶吉祥仏法センターの弟子たちを引き連れ、法王にマンダを捧げ、自ら以下のような誓いをしたためました。

「台湾寶吉祥仏法センターの弟子たちは、真心を込めて尊きチェツァン法王、およびあらゆる大リンポチェに供養します。弟子たちは、この世で最も貴重な財宝を使い尽くして法王に供養しても、法王に法を伝えて頂いた御恩に報いることができないことを十分存じております。故に寶吉祥仏法センターの弟子たちは、本尊、法王、リンポチェたちに誓います。我々は仏を学ぶことに精進し、衆生を利益し、菩提を実証して法王の御恩に報います。法王の長寿と健康、仏法事業の隆盛を祈ります。願わくは直貢噶舉教派の法旗が四海に翻り、その法脈が永遠にこの世に続き、一切の有情衆生を利益しますよう」

リンチェンドルジェ・リンポチェは、この直貢噶舉教派の法脈の振興についての誓いを一途に守り、さらに近年はそれを行動に移して実践しています。

2006年末、ユンカリンポチェはリンチェンドルジェ・リンポチェに文殊菩薩像を賜り、「十方三世一切諸仏の功徳は、すべてリンチェンドルジェ・リンポチェに有る」「リンチェンドルジェ・リンポチェは、六道の一切衆生を救済することができる」などと祝いました。これは、チベット仏教の上師が大根器の弟子を重視していることを意味しています。また、直貢噶舉教派の伝承においても、深遠な意義を持つのです。

2008 年 11 月 25 日 更新