尊きリンチェンドルジェ・リンポチェ 略歴

殊勝証量 稀世珍宝
教派護持 法脈振興
金剛体性 慈悲度衆
弘掦正信 法輪常転

◎ 殊勝証量 稀世珍宝

寶吉祥仏法センターの尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは、尊勝なるチベット仏教直貢噶舉教派第37世直貢チェツァン法王の根本弟子です。インドの菩提寺で度々閉関修行をなされた折は、すべて直貢チェツァン法王による指導を受けました。また、直貢チェツァン法王より「大手印心法」を授けられ、直貢噶舉教派の数々の灌頂を受けました。1997年4月、直貢チェツァン法王自らリンチェンドルジェ・リンポチェの為に盛大な坐床大典を行って法帽法衣を賜り、寺院すべてのリンポチェとラマ僧の前で、リンチェンドルジェ・リンポチェが直貢噶舉教派の伝法上師であることを認めました。リンチェンドルジェ・リンポチェはチベット仏教直貢噶舉教派の歴史で唯一、今世に実修し証果できた漢民族出身の在家伝法上師であります。直貢チェツァン法王のほか、直貢噶舉教派のテンジン・ニンマ・リンポチェとユンガ・リンポチェもリンチェンドルジェ・リンポチェの根本上師であります。この2人のリンポチェは、長らくチベットで閉関修行を行っており、他の人との接触がない状況であったにも関わらず、特にリンチェンドルジェ・リンポチェのために灌頂を行い、岩藏密法を授けました。リンチェンドルジェ・リンポチェは、テンジン・ニンマ・リンポチェにとって唯一の在け弟子です。ユンガ・リンポチェは2005年、リンチェンドルジェ・リンポチェが「大手印離戯瑜珈」の果位を得たことを認めました。2007年にリンチェンドルジェ・リンポチェは三恩根本上師――直貢チェツァン法王の指導の下で、ネパールでのラーキ雪山で閉関修行する時に、法眼にて自ら六道衆生の輪廻する苦しみを見て、哀憫の心を起こして、悲嘆して数時間も泣きました。閉関が円満に終わって、直貢チェツァン法王にこの事をご報告して、直貢チェツァン法王は自らリンチェンドルジェ・リンポチェが既に空性を証得したことを認めました。

リンチェンドルジェ・リンポチェは長年、台湾での仏法推進に尽力し、1997年には「寶吉祥仏法センター」を設置しました。「寶吉祥」は直貢噶舉教派の偉大な宗祖ジッテン・サムゴンの法号で、直貢チェツァン法王が賜った名称であります。直貢チェツァン法王が自ら認可書をしたためました。それには「寶吉祥仏法センター」は直貢噶舉教派を代表して正しい仏法を広めると書き記されています。寶吉祥仏法センターでは、1000名あまりの弟子がリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依しており、現在の直貢噶舉教派で最大規模の、人数の多い仏法センターであります。道場の床面積は1000平方メートルにも及びます。2004年、直貢チェツァン法王は多くのリンポチェとラマ僧を連れて台湾に来られ、自ら「寶吉祥仏法センター」の新道場完成開光法会を行いました。直貢チェツァン法王は法会の席で、寶吉祥の弟子達の求めに応じ、「リンチェンドルジェ・リンポチェ長寿祈請文」をしたためました。2006年、直貢チェツァン法王はまた「顔(リンチェンドルジェ・リンポチェの俗家氏名)リンポチェはわが弟子の中で最も秀でています。彼の修行は自然に修めえたもので、良く学び、良く修めています。近年の大法会では、リンチェンドルジェ・リンポチェは常に直貢チェツァン法王のそばに座り、法会の進行中も直貢チェツァン法王と行動をともにしています。これは、リンチェンドルジェ・リンポチェの果位を顕著に示すものであります。直貢噶舉教派の公式サイトでも、リンチェンドルジェ・リンポチェの果位は明確に認められています。

直貢チェツァン法王は2006年、自身が施身法を修めるときに使う重要な法器を、リンチェンドルジェ・リンポチェに授けました。これは、リンチェンドルジェ・リンポチェがすでに、直貢チェツァン法王の施身法の法脈を伝承したことを意味します。同年、直貢チェツァン法王はリンチェンドルジェ・リンポチェにガムポパ法帽と五方仏法螺を下賜しました。直貢チェツァン法王はまた、リンチェンドルジェ・リンポチェに、カジュ派の宝瓶と祥雲の標識を黄金で鋳造して、ガムポパ法帽に飾り付けるよう指示しました。

2007年 4月16日、直貢チェツァン法王はリンチェンドルジェ・リンポチェが直貢噶舉教派を代表して、世界各地で仏法を広めることを認可されました。直貢チェツァン法王は認可書にも指摘しているのは:「尊き 顔錚浩リンポチェ(リンチェンドルジェ・リンポチェ)が、台北でのチベット仏教直貢噶舉教派寶吉祥仏法センターの創立者です。過去20年来、顔リンポチェ(リンチェンドルジェ・リンポチェ)は直貢チェツァン法王の指導の下で、精進して仏法を修行する同時に、全力を尽くして直貢噶舉の多くの計画を維持しました。顔錚浩リンポチェ(リンチェンドルジェ・リンポチェ)はきわめて優秀な経験と能力を備えて、国内外で仏法を教授することができます。それで、そのため彼は直貢噶舉教派を代表して、世界各地で仏法を発揚することを認可しました。そして、私は、顔リンポチェ(リンチェンドルジェ・リンポチェ)の仏法事業が、仏法を世の中で発揚して盛んになるようにさせて、広大な有情衆生に利益するように祈願します。」

2007年5月から8月まで、リンチェンドルジェ・リンポチェは直貢チェツァン法王の指名を受けて、直貢噶舉教派の祖師密勒日巴尊者が修行した聖地ネパールのラーキ雪山で、法王の指導の下で、3ヶ月間の閉関修行を行いました。閉関修行が円満に終了した際、法王はリンポチェに「リンチェンドルジェ・リンポチェ」という法号を授けました。これは「寶金剛リンポチェ」という意味であります。直貢チェツァン法王から法号を授けられるということは、このうえなく光栄なことであります。「リンチェン」とは無数にある宝物の精髄を意味します。また、「ドルジェ」は金剛を意味し、「リンチェンドルジェ」とはつまり寶金剛で、衆生に利益するという心と仏法事業にかける意気込みが、金剛のように堅固で、いつまでも変わらないと言う事を意味しています。このときの閉関で修めた本尊は喜金剛であります。これは、マルー・パ聖者の成就の法であります。これは直貢噶舉教派において、200~300年間伝承されてこなかったものでありますが、直貢チェツァン法王は3~4年かけてこれを収集・整理し、リンチェンドルジェ・リンポチェにこれを授けました。このときの閉関修行におけるもっとも意味のあることは、リンチェンドルジェ・リンポチェは直貢噶舉教派の歴史において初めて、法王について閉関修行し、喜金剛本尊を修めたリンポチェとなったことであります。閉閑が円満終了後、直貢チェツァン法王は自らリンチェンドルジェ・リンポチェを率いて三日の火供を修めました。(このときの閉関修行の詳述については、最新ニュースを参照のこと)

2008年、直貢チェツァン法王が自ら認可書(認可日:5月19日)を賜りました。チベット仏教直貢噶舉教派が日本にある仏行事業のため、チベット仏教直貢噶舉教派尊勝なる直貢チェツァン法王が、特にリンチェンドルジェ・リンポチェが日本で弘法して、それには、「寶吉祥仏教文化交流センター」を主持することを任命し派遣しました。

2008年5月29日に、リンチェンドルジェ・リンポチェは直貢チェツァン法王の指導の下で、日本京都で「直貢噶舉寶吉祥仏法センター」を設けました。日本のこの道場は直貢噶舉教派が初めて日本で建立した道場であるのみならず、チベット伝統仏教の四大教派が日本で建立した初めての道場です。尊勝なる直貢チェツァン法王は、寶吉祥仏法センター住持上師 リンチェンドルジェ・リンポチェの招請に応えて、2008年5月29日に開光大典を執り行いました。今回の盛事のために、リンチェンドルジェ・リンポチェは自らインドに赴き、法王を台湾に迎えました。そして、日本の京都お連れして、開光大典の主催をお願いしました。開光大典で、直貢チェツァン法王はネパールのラーキ雪山聖地から迎えた長寿仏像、および経典一冊をリンチェンドルジェ・リンポチェに贈られました。長寿仏がここに迎えられた事は、ディクン・カジュ千年正統の伝承を象徴し、日本において広められることを意味します。開光式を終えてから、直貢チェツァン法王は リンチェンドルジェ・リンポチェを率いて、道場の庭園で火供の次第を行い、虚空無数の衆生に仏法の利益を齎されました。

2009年11月9日から10日まで、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは366名の弟子達を率いて、ネパールのカトマンズで、尊勝なる直貢チェツァン法王が自ら主催される直貢噶舉教派リンチェンリン寺(Rinchen Ling Monastery)の開光式典や、及び尊勝なる直貢チェツァン法王は自ら主法された葉衣仏母の灌頂法会に参加された。開光式典と灌頂法会が始まるところ、リンチェンドルジェ・リンポチェはいつも直貢チェツァン法王の後に続いて会場に入りました。典礼の過程の中で、リンチェンドルジェ・リンポチェは観礼席の一列目の中央にお座りになり、台上の直貢チェツァン法王と向き合う位置で、しかも単独に一人だけのソファに座って、全過程を観礼なさった。典礼が円満終了し、リンチェンドルジェ・リンポチェは仏寺内の専属の休息室へ招かれ、昼食を召し上がった。灌頂法会の時、リンチェンドルジェ・リンポチェの座席が壇上の一列目で、直貢チェツァン法王の法座に非常に近くアレンジされて、灌頂法会が終了した後、ただリンチェンドルジェ・リンポチェお一人が直貢チェツァン法王に随って会場を離れ、同時にリンチェンドルジェ・リンポチェは、チェツァン法王のご指示に応じられ、チェツァン法王が法王の休息室へ入られるのに随われた。その後、教派の多くのリンポチェは、例えば、ヌーパ・リンポチェ(Nupa Rinpoche)、ラブサン・リンポチェ(Rasbsang Rinpoche)、ネツォンソパ・リンポチェ(Nyizong Sopa Rinpoche)、ラマ、信者など、リンチェンドルジェ・リンポチェの専属休息室内で会った。以上のことからもすべて、リンチェンドルジェ・リンポチェが、直貢チェツァン法王の根本弟子でありことを表しています。

◎ 教派護持 法脈振興

直貢噶舉教派の台湾での仏法事業の基礎と仏法センターの設立は、直貢チェツァン法王が1988年に初めて台湾を訪問したことをきっかけとします。また、リンチェンドルジェ・リンポチェとも非常に深い因縁が有ります。

一、1988年末、直貢チェツァン法王は仏法を広めるため、初めて台湾へ弘法しに訪れました。リンチェンドルジェ・リンポチェは当時、まだ直貢チェツァン法王と会ったことがなかったのですが、友人を通して台湾元10万元を供養していました。直貢チェツァン法王はリンチェンドルジェ・リンポチェと会うと、直ちに「金剛薩埵」法門を口伝しました。その後、リンチェンドルジェ・リンポチェは直貢チェツァン法王に皈依し、岩蔵密法の修行を始めました。1989年、台北において台湾で初めてとなる、直貢噶舉教派の仏法センター「直貢噶舉教派顕密精舎」を創立。リンチェンドルジェ・リンポチェはこれに資金的な援助を行うとともに、護法会の会長に就任しました。1993年、直貢噶舉教派は内湖に仏法センターを創立。「直貢噶舉教派顕密精舎」の仏像及び特別内装などを、リンチェンドルジェ・リンポチェによる資金的な援助のもとで、内湖の仏法センターまで移転させます。リンチェンドルジェ・リンポチェはその後毎月、同センターで必要な資金を援助しています。

二、2001年、直貢噶舉教派の「金剛の舞」の全台湾巡回公演を主催した折、リンチェンドルジェ・リンポチェは中国語ができないラマ僧たちが台湾出演の間、不便な生活を強いられるのではないかと憂慮するから、中国語のできるリンポチェ1人を派遣して、ラマ僧たちに同行させるよう直貢チェツァン法王に願い出ました。直貢チェツァン法王は、僧格滇增リンポチェを派遣しました。「金剛の舞」の台湾公演終了後、リンチェンドルジェ・リンポチェは、直貢噶舉教派の内湖センターにまだ住職のリンポチェがいなかったから、直貢チェツァン法王に僧格滇增リンポチェを住職として台湾に滞在させることを提案しました。直貢チェツァン法王はこの提案を受け入れ、僧格滇增リンポチェを内湖センターの住職に任命しました。

三、2001年、滇貝リンポチェがインドにおいて、直貢チェツァン法王に対してチベット式テントを供養しました。その後、直貢チェツァン法王とリンチェンドルジェ・リンポチェと滇貝リンポチェはこのテントの中で昼食を取りました。このとき直貢チェツァン法王は、滇貝リンポチェに対して、今後、台湾で仏法事業の推進に努めるよう伝えるとともに、リンチェンドルジェ・リンポチェに対し、彼を手助けするよう指示しました。このため、リンチェンドルジェ・リンポチェは、滇貝リンポチェが台北で「竹節仏学会」を創立することに協力しました。青海玉樹にある「竹節寺」の一部の仏像や建設は、リンチェンドルジェ・リンポチェが資金的援助を行ったものであります。

リンチェンドルジェ・リンポチェは、全力を以って直貢噶舉教派の仏法事業を護持するほか、仏法の推進や直貢噶舉教派の法脈の振興においても尽力し、数々の仏法事業を行っています。直貢チェツァン法王に皈依してから、リンチェンドルジェ・リンポチェは供養や布施を行って、絶えずに教派を独自で護持しました。リンチェンドルジェ・リンポチェの教派に対する多くの貢献については、「教派を護持する事例」を参照のこと。2001年、インドのデラドーンで直貢噶舉教派の巳年大法会を行った際、直貢チェツァン法王は、リンチェンドルジェ・リンポチェが教派の為に力を余す所無く出していると公の場で賞賛しました。2003年、ソンツェン図書館の開光式典で、直貢チェツァン法王はダライ・ラマ、サキャ法王、各教派の代表、国際名士たちの前で、リンチェンドルジェ・リンポチェが直貢噶舉教派の重要な弟子であり、直貢チェツァン法王の根本弟子であると述べました。直貢チェツァン法王はまた、特にリンチェンドルジェ上師を指名して、ダライ・ラマの主法する観世音菩薩灌頂法会で、教派を代表してダライ・ラマに法会円満のマンダを捧げさせました。このときダライ・ラマは、両手でリンチェンドルジェ・リンポチェの頬を包み込み、長く加持しました。2008年インドのデラドンの「恆河大手印」口訣法会に、直貢チェツァン法王は自ら特別にチベット語、中国語及び英語で、各国からの参列者の前で、公然と以下の如くリンチェンドルジェ・リンポチェに褒め称えた。「簡単に話せば、寶吉祥のリンチェンドルジェ・リンポチェは1988年に出会って以来、ずっと私の根本弟子で、すでに20年になる。その後絶えなく伝承を助け、非常に敬虔であり、チベットのディクの主寺の金頂をつくり、インド、ヂャンチュウブリンの仏寺及びソンツェン圖書館を助成し、直貢噶舉で助けを必要とする寺院と閉関センターに多くの助けている。ゆえに私は此処で彼が教派の為に大きな力を出した事を表彰する。又此処で、寶吉祥の作業人員は、リンチェンドルジェリンポチェの引率の下で、非常に敬虔で苦労を惜しまず、各事々で発心をしている。この度の世界和平点燈もリンチェンドルジェリンポチェが弟子たちと共に遥遥台湾から持ってきたものである。インドで直貢噶舉が必要とするものは、事の大小に関わらず、リンチェンドルジェリンポチェが助けてくれる。私はこの機会を借りて、感謝の意を表し、リンチェンドルジェリンポチェにハタを一つ差し上げたい。阿弥陀仏!」

直貢チェツァン法王は数多の場合で、リンチェンドルジェリンポチェがディクの主寺蔵経閣の金頂護持した事をを褒められました。この金頂はジッテン・サムゴン祖師が800年前に建立し、その後何回か修繕しました。嘗て直貢チェツァン法王はこう予言したことがある、金頂が修復されれば、直貢噶舉教派は大いに栄えるであろうと。リンチェンドルジェリンポチェが直貢チェツァン法王の修復の指示を受けた時、資金調達のあては全然ありませんでした。ただ上師に対する無限の信心と努力で以ってことに臨んだのです。そして、2000年にはこの任務を果たしました。この何年かで、直貢噶舉教派世界各地の仏寺やセンターは活気を帯びて発展し、教法は広く流伝している。此処に法王とリンポチェの師徒2人が心をあわせ、仏法と教派を広める殊勝な成就が見られる。其れは直貢チェツァン法王が公に話したが如く、直貢チェツァン法王とリンポチェが永久に一つに居れば、仏法の大通で更に数多の衆生を利益するだろう。

リンチェンドルジェ・リンポチェは全力を以って直貢噶舉教派の仏法事業を護持するほか、仏法の推進や直貢噶舉教派の法脈の振興においても尽力し、数々の仏法事業を行っています。例えば、直貢噶舉教派が伝承する「金剛の舞」の台湾巡回公演を主催しました。また直貢チェツァン法王がインドで「ソンツェン図書館」を設置するのを支援するため、20万ドルを募集しました。さらに、直貢チェツァン法王が主法する「阿弥陀仏淨土法門—ポワ法」と「本尊パルナシャバリ祛病」万人大法会を挙行。ディクンティ寺が毎年伝統的に行っている、250人のラマ僧が連続45日間、毎日24時間「六字大明呪」を唱えるという法会を護持。青海ディクン大法会を護持。青海「岩蔵八大ヘルカ」の灌頂法会を護持。1999年から、直貢チェツァン法王および教派の数多くのリンポチェが主催する祈福大法会を何度も挙行。参列者からは 費用を一切徴収せず、必要経費はすべて寶吉祥仏法センターが負担。法会で参列者から得た供養金は、法会を主法した直貢チェツァン法王およびリンポチェに献上して、その後、各地の寺院や仏学院、チベット小学校の建設費用に当てました。各法会の参列者は1000人を超え、多い時には2000人に達しました。リンチェンドルジェ・リンポチェの直貢噶舉教派の法脈振興に対する多くの貢献については、「法脈の振興」を参照のこと。

末法時代にある現在、数多の天災、事故、戦争、流行病で死亡し、苦痛と邪道に陥る六道の衆生が大勢います。このためリンチェンドルジェ・リンポチェは大悲願を発起し、2005年から毎年、「直貢噶舉教派阿弥陀仏無遮大超度法会」を自ら主法。六道衆生が輪廻の苦痛から解脱するのを助けます。この殊勝な法会は、直貢チェツァン法王の許可を得たものであるほか、数多くの大成就者の加持と祝福を受けました。「阿弥陀仏大超度法」は直貢噶舉教派の殊勝な密法で、「ポワ法」の成就を得た伝法上師のみが主法することができます。直貢チェツァン法王はこの密法を唯一、リンチェンドルジェ・リンポチェに四密灌頂されました。

2005年9月、リンポチェは自ら「阿弥陀仏無遮大超度法会」を主法。直貢噶舉教派のラマ僧、弟子、信徒5000人以上が参加しました。法会終了後、リンチェンドルジェ・リンポチェはその場で台湾元452万元を社会福祉や心身障害者の厚生など、社会厚生費用に充てるため、台湾の政府機関、内政部社会司に全額寄付しました。

2006年8月、リンチェンドルジェ・リンポチェはに第二回「阿弥陀仏無遮大超度法会」を主催しました。参列者は合計1万人以上です。法会終了後、リンチェンドルジェ・リンポチェは再び台湾の内政部社会司に台湾元468万元を社会福祉や心身障害者の厚生など、社会厚生費用に充てるため、全額寄付しました。

2007年9月、リンチェンドルジェ・リンポチェは第三回「阿弥陀仏無遮大超度法会」を主催。参加人数は合計1万2000人に上りました。法会終了後、リンチェンドルジェ・リンポチェは再び台湾の内政部社会司に台湾元489万元あまりを社会福祉や心身障害者の厚生など、社会厚生費用に充てるため、全額寄付しました。

2008年8月、リンチェンドルジェ・リンポチェは自ら第4年の「阿弥陀仏無遮大超度法会」を主催し、参列者数が14000 人に達しました。法会が円満に終了した後、リンポチェは参列者の供養金とご自身が寄付した金数合計416万元あまりを内政部社会司に廻し、公益慈善社会福利事業に寄付し、社会的弱者や助けを必要としている人々の支援に充ててもらって、衆生に代わり広く善縁を結んでいます。

2009年10月、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは台北アリーナで5年目の殊勝な「チベット仏教直貢噶舉教派阿弥陀仏無遮大超度法会」を主催し、合計で参列者数が13000 人に達しました。この「阿彌陀仏無遮大超度法会」では、尊き直貢チェツァン法王は根本弟子リンチェンドルジェ・リンポチェを通して内政部社会司に台風8号(MORAKOT)による水害の再建費用として台湾元200万元の現金を寄付なされました。同時、リンチェンドルジェ・リンポチェもさらに200万元の現金を寄付しました。そして、法会が円満に終了した後、リンチェンドルジェ・リンポチェは、すべて参列した大衆がリンチェンドルジェ・リンポチェに供養してもらった供養金合計台湾元423万元余りも寄付して、合計で623万元余りを全部寄付して、台風8号(MORAKOT)による水害の再建費用とする。すべての災害再建の経費とする寄付金額は合計台湾元823万元余りである。内政部は感謝状以って尊き直貢 チェツァン法王及びリンチェンドルジェ・リンポチェに感謝しています。

2010年10月3日、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは台北世界貿易センターの南港展覧館で6年目の殊勝な年度の「チベット仏教直貢噶舉教派阿弥陀仏無遮大超度法会」を主催し、合計で参列者数が20,000 人に達しました。そして、法会が円満に終了した後、リンチェンドルジェ・リンポチェは、すべて参列した大衆がリンチェンドルジェ・リンポチェに供養してもらった供養金合計台湾元600万元余りも寄付して、弁護士、会計師および銀行幹部立会いのもと、その全額は内政部社会司に寄付し公益慈善社会福利事業に寄付しましたる。

2005年から2010年までの6年間に、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは総額台湾元3,000万元あまりに寄付した。毎年、内政部は公文書或いは感謝状以って尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに感謝しています。此の6回の大法会で、宣傳の張り紙は一枚もなく、ただ寶吉祥仏法センターの弟子達の口コミで、参列した信衆の総数は延べ74,000人に達し、6年でこの大済度法会に参列した信衆の総数は延べ74,000人に達し、遠く日本、香港、オランダ、フランス、印度、ニュージーランド、オーストラリア、アメリカ、イギリス、カナダ、フィリッピン、ブラジル、中国等国外からも信衆が特にこの法会に参列するため台湾を訪れ、数年来で更に違う教派の違うンガパ、ゲシェ、ガムポ、ラマ、及び顯密出家衆などが、自主的に法会に参列していて、顕密の比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷など四衆が集めて共同に法会に参加して、もっと珍しい。リンチェンドルジェ・リンポチェは諸仏菩薩の広大で深い福徳及び衆生を救う深く広大な願力を十分に備えていることを意味しています。

台湾で仏法を広めるだけではなくて、リンチェンドルジェ・リンポチェが更に、何回も、インド北部シーク教区にあるパンジャブ省に行って、自ら殊勝な密法法会を主催し、公に講演を行って、仏法をシーク教区に広めました。法会に参加する信者達はリンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲に感動されて。無比な恭敬する心を起こして、更に、最高の礼儀でもって、頭や額で、リンチェンドルジェ・リンポチェの足に触れ、心からの敬意を示しました。シーク教の長老は、リンポチェが仏法によって彼らを導いてくれること、そして年に2回この地にやってきて仏法を広めてくれるよう要請しました。地元の新聞社も、大きな見出しで「リンチェンドルジェ・リンポチェが、仏法を広める活動」と報道しました。ある記者は、リンチェンドルジェ・リンポチェは天が彼等に下された貴重な贈り物だと褒め称えました。毎回に、リンチェンドルジェ・リンポチェは現地に到着して、大勢の信者達は面会を求めに来て、そしてリンチェンドルジェ・リンポチェも苦労と思わないで開示と加持を与えました。リンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲無私及び仏法の不思議な力により、種族、地域、言語文化の垣根を越して、遠くの衆生に利益を行き渡らせることを象徴している。

そこでこの数回の法会を開催するときに、尊勝なる直貢チェツァン法王は、特にカンポスとラマを命じて、北インドのチャンジョブリンから法座、楽器、法卓など物品を携帯してきて、壇城と法座の飾り及び法会の儀軌の催しに協力した。ラマが持ってきた楽器、法卓などの中で、多くのは直貢チェツァン法王が自ら法会を主法する法会に使用される物である。以上のことからもすべて、リンチェンドルジェ・リンポチェが、直貢チェツァン法王の根本弟子であり、修行の果位と教派での地位を表しています。

2006年10月末、リンチェンドルジェ・リンポチェはチベット仏教の伝法金剛上師として、インド北部シーク教区にあるパンジャブ省の最も有名な学校M.G.N.の要請を受けて講演を行いました。そして、同年度のゲスト授章者を担当することになります。

2007年2月下旬、リンチェンドルジェ・リンポチェはインドのシーク教徒の要請に応じて、弟子200人あまりを引率して、インド北部のパンジャブ省に赴き、観音法門伝授法会および阿弥陀仏無遮大超度法会を挙行しました。現地のシーク教徒500人が恭しく参加し、共に法に喜んだ。

2008年11月、リンチェンドルジェ・リンポチェは再びインドのパンジャブ省の最も有名な学校M.G.N.の要請を受けて、年度祝賀大会の年度を授賞する貴賓を担当しました。

2008年11月9日、リンチェンドルジェ・リンポチェは、インドのジャランダー(Jalandhar)にて、殊勝な施身法法会を主催されて、約250人余りのインド信者とほぼ200人台湾寶吉祥弟子が法会に参加しました。

2009年11月15日、リンチェンドルジェ・リンポチェは、北インドのパンジャブ省のジャランダー(Jalandhar)にあるリージェント パーク ホテル(Regent Park Hotel)において、殊勝な長寿仏法会を主催され、合計482名が法会に参加しました。当地の320名のインド人信徒(その内の20名の信徒は当日法会が開かれることをホテルで知りこの殊勝な法会に自ら参加するのを希望)を含む。

リンチェンドルジェ・リンポチェは更に比類がない剛毅な気迫、広大な慈悲心、不思議な知恵で、直貢チェツァン法王の指導の下で、日本の京都で「直貢噶舉寶吉祥仏法センター」を創立して、日本でチベット仏教を広めるため、新しい扉を開始しました。リンチェンドルジェ・リンポチェはしかも仏法センターで続々と多くの法会を催して、殊勝な密法で無数な衆生に利益します。リンチェンドルジェ・リンポチェの大慈悲と大知恵は、だんだん多くなる日本の信者達に説得させて、謁見を求めに来て、しかも2009年から、日本人の信者が正式に皈依して、リンチェンドルジェ・リンポチェの門下の弟子になりました。

リンチェンドルジェ・リンポチェは京都寶吉祥仏法センタ-を創立する前に、嘗て2007年12月中旬、弟子および信徒300人あまりを引率して、日本の京都に赴き、嵐山嵯峨野観光鉄道株式会社社長の要請に応じて、史上前例を見ないで運転中のトロッコ列車で施身法超度法会を行いました。沿線で出会った数百年、数千年来の亡者や空虚中の数多くの有情を済度しました。

2008年5月29日、リンチェンドルジェ・リンポチェは直貢チェツァン法王の指導の下で、日本京都で「直貢噶舉寶吉祥仏法センター」を設けました。チベット伝統仏教の四大教派が日本で建立した初めての道場です。尊勝なる直貢チェツァン法王は、寶吉祥仏法センター住持上師 リンチェンドルジェ・リンポチェの招請に応えて、自ら開光大典を執り行って、道場の庭園で荘厳で殊勝な火供の儀軌を行い、虚空無数の衆生に仏法の利益を齎されました。

2008年8月16日、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは日本京都寶吉祥仏法センターに於ける初めての施身法会を行いました。合計80余人が殊勝な法会に参加しました。

2008年12月20日、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは日本京都寶吉祥仏法センターにて、初めて殊勝な長寿仏法会を行いました。合計140余人が法会に参加しました。

2009年1月31日、リンチェンドルジェ・リンポチェは日本京都寶吉祥仏法センターにて、財神法会を主催して、 午前中には黒水財神法を修めて、午後には象頭財神法を修めて、合計85人が参加しました。

2009年5月29日及び30日、リンチェンドルジェ・リンポチェは日本京都寶吉祥仏法センターにて、仏法センターの開光周年記念法会を催しました。リンチェンドルジェ・リンポチェは29日に燈供祈願第二品、珍寶自成燈供法及び上師供養法を修持して、そして30日に殊勝な得難い火供を修めました。合計で29日に129人、30日に131人が法会に参加しました。

2009年8月16日、リンチェンドルジェ・リンポチェは日本京都寶吉祥仏法センターにて、施身法法会を行いました。合計108人が法会に参加しました。

2009年9月9日昼ごろ、リンチェンドルジェ・リンポチェは台北寶吉祥仏法センターにて、日本京都臨済宗妙心寺霊雲院住持則竹秀南老大師、臨済宗妙心寺本光寺岡島南圭住職、則竹老大師の台湾の弟子玄恕法師等の随行する貴賓一行を迎えた。則竹秀南老大師はチベット仏教がとても素晴らしいと賛嘆されて、そしてリンチェンドルジェ・リンポチェが開示した後に、寶吉祥仏法センターの弟子達に、あなた達がとても幸せだと仰いました。

2009年12月26日、リンチェンドルジェ・リンポチェは日本京都寶吉祥仏法センターにて、殊勝な「普巴(プルパ)金剛」法会を主催しました。合計109人がこの殊勝な法会に参加しました。

2010年2月20日、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは日本京都寶吉祥仏法センターにて、黒水財神法及び象頭財神法を修めて、合計82人がこの殊勝な法会に参加しました。

2010年5月22日、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは日本京都寶吉祥仏法センターにて、殊勝な上師供養法と燈供を主催しました。合計125人が法会に参加しました。

2010年5月23日、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは日本京都寶吉祥仏法センターにて、殊勝な火供密法を主催しました。合計132人が法会に参加しました。

2010年8月16日、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは日本京都寶吉祥仏法センターにて、殊勝な「阿弥陀仏済度法会」を主催しました。合計133人が参加しました。

2011年1月3日、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは日本京都寶吉祥仏法センターにて、殊勝な三十五仏懺悔法門及び「普巴(プルパ)金剛」法会を主催しました。合計184人が参加しました。

◎ 金剛体性 慈悲度衆

リンチェンドルジェ・リンポチェの願いは「一切の衆生が成仏するのを助ける」ことであります。そして呪文を唱え、「施身法」を修め「ポワ法」を成就したことで知られています。つまり、死者を浄土に済度し、衆生の病を取り払う殊勝な能力を持っていられます。直貢チェツァン法王はかつて、リンチェンドルジェ・リンポチェの加持力は特に強いと仰せられたことがあります。ユンカ・リンポチェも、リンチェンドルジェ・リンポチェの一言の呪文は、六道一切の有情を利益すると仰っていました。リンチェンドルジェ・リンポチェは、仏法をもて衆生に利益し、平素より衆生の求めに応じて各大病院に出入りし、患者を加持しています。そして、数々の重病患者や、医師も匙を投げた難病患者が、リンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲な加持によって、仏法や因果を深く信じ、苦痛を和らげ、或いは全快して寿命を延ばすことができます。全世界で新型肺炎(SARS)が蔓延したとき、民衆は苦痛と恐怖に怯えていました。慈悲深いリンチェンドルジェ・リンポチェは、衆生が助けを求めていることを知り、台湾が疫病防止に努めている間、各地で絶えなく法会を行いました。法会に参加した者と、法会を挙行した地区ではみな、吉祥と息災を得ています。リンポチェは、自身が疫病に感染するというリスクを恐れず、衆生の求めがありさえすれば、直ちに病院まで駆けつけ、苦難の衆生のために加持を行っています。リンポチェは「衆生が最も私達を必要としているとき、衆生から離れることができるだろうか」と述べています。新型肺炎(SARS)に感染した患者は、リンチェンドルジェ・リンポチェの密法で病気が治ったほどです。そのうちの1人は、SARS感染患者を受け入れた病院の救急センターの主治医師であります。彼らには現在、SARS感染のための後遺症は全く見られません。

リンチェンドルジェ・リンポチェは昔から、台湾にいらっしゃっていれば、必ずお忙しい中時間を割いて助けが必要とする信者と弟子を接見します。生・老・病・死の苦痛だけではなく、まだ家族、家庭、事業、学業など様々な種類の悩みは、リンチェンドルジェ・リンポチェは全て一人一人ずつ謁見を求める者の個別の状況と因縁に対応して、最も適当な方法にて、仏法の開示と加持に与えました。10数年来、直接にリンチェンドルジェ・リンポチェの助けを獲得した人数は、大体累計して既に百万延べ人数も上回ったことを推測して、家族を通して間接的に救助してもらった六道の衆生はもっと数えられません。

リンチェンドルジェ・リンポチェは長年、台湾で定期的に「施身法」の法会と共修法会を行い、無数の衆生を済度してきました。2000年、リンチェンドルジェ・リンポチェは法王より「施身法」の灌頂を受けて成就。2006年には、直貢チェツァン法王から法王が「施身法」を行うときに使用する重要な法器を授かります。これはリンチェンドルジェ・リンポチェが、法王より「施身法」の法脈を伝承したことを意味します。リンチェンドルジェ・リンポチェは現在、直貢噶舉教派においては唯一の、同時に1000人以上に「施身法」を行うことができる大修行者であります。長年、数多の信徒と弟子のために、すでに死亡した彼らの親族、祖先、冤親債主などを済度し、業障を取り除いてきました。「施身法」で済度された六道衆生は数え切れないほどいます。「施身法」の法会に参加したがん患者や難病患者、長い間疾患を患っている人たちの中には、病状が改善したり、ひいては病状が消えてしまったというケースも多くあります。また、意識不明の重症患者でさえ、その家族がリンチェンドルジェ・リンポチェに対して非常に敬虔な深い信仰心をもって「施身法」の法会に参加したことから、徐々に回復に向かっています。現在「施身法」の法会に参加する人たちの数は、毎回1300人以上程度に達し、遠くは日本、インド、オランダ、オーストラリアから来る者もいます。

近年、福徳因縁を積んだ多くの衆生が、リンチェンドルジェ・リンポチェの「ポワ法」によって阿弥陀仏淨土に往生しました。リンチェンドルジェ・リンポチェが修持する「ポワ法」は、死者のそばにいて行う必要はなく、離れていても淨土へ済度することが可能です。リンチェンドルジェ・リンポチェの「ポワ法」が施された死者、はいずれも、法本に記載された吉兆が現れます。例えば全身が冷たくなっているにもかかわらず、頭のてっぺんにある「梵穴」が熱くなります。「梵穴」は凹み、荼毘(だび)にした後も、頭蓋骨に縁のそろった丸い穴が現れます。遺体は長時間柔らかいままで、顔色も血色が良く、安らいだ表情を見せます。また、鼻からは紅白の菩提が流れ出し、死斑は消え、遺族たちの悲しみを軽減します。また、遺体を冷凍保存している場合も、「ポワ法」を得たあとは、「梵穴」が熱くなるため、保存用の氷が解けて水が滴る現象が起きることもあります。また、死者の魂は壇城に招かれた際、最後の遺志と思いをリンチェンドルジェ・リンポチェに告げます。これは、リンポチェによって家族に伝えられます。こうした現象や、リンポチェによって伝えられる死者の遺志などは、死者の遺族によって確認されており、遺体の検視官や葬儀屋を驚かせています。かつてリンチェンドルジェ・リンポチェは、遠くインドで閉関修行をしていた際、あるいは海外で仏法を広めていた際に、台湾で亡くなった死者のために「ポワ法」を行ったことがあります。済度された衆生には、同様の兆候が現れ、周囲の人々を驚かせています。法本によると、「ポワ法」を修得すると、鳥が飛んで行けるところでありさえすれば、どこでも加持や済度ができると記載されており、これが実証されたわけであります。

嘗て数回も発生したことがあります。重病にかかってもうすぐ臨終を迎える弟子或いは弟子の家族は、リンチェンドルジェ・リンポチェに十分な信心を備えていて、肉体に対する執着を放下して、家族に護送された病体は道場まで法会に参加しに来て、法会の中で完全に苦痛がないで往生して、そして直ちにリンチェンドルジェ・リンポチェのポワ法の済度を獲得して、その上その場で家族からポワ法を修めて済度された成功する殊勝な瑞相を確認しました。法会に参加する1千数人がすべて共にリンチェンドルジェ・リンポチェがポワ法を修めた殊勝を見られて、感動して賛嘆しました。更に数多の亡者が往生した時にポワ法の済度を獲得する因縁がないが、しかし、家族が尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに信心と大恭敬心を十分に備えていて、施身法法会に参加して、亡者は同様に施身法の済度を獲得して、しかも往生者は火葬した後に同様に「ポワ法」の円満な瑞相が現れて、即ち「往生者の頭のてっぺんにある「梵穴」の所で、縁のそろった丸い穴が現れること。」であり、リンチェンドルジェ・リンポチェが法を修めて円満に成功することが表します。

2007年、リンチェンドルジェ・リンポチェはネパール海抜4500メートルのミラレーパ尊者閉関聖地ラキ雪山で閉関修行をなされた折、死者の家族が台北逸仙路寶吉祥宝石店で、信心を込めてリンチェンドルジェ・リンポチェの肖像画に恭しく頂礼した結果、死者には同じように「ポワ法」が円満成就した瑞相が現れた。これはリンチェンドルジェ・リンポチェの願力、慈悲力が本尊阿弥陀仏と合い呼応して一切の信心深い衆生に利益することを顕す。

◎ 弘掦正信 法輪常転

リンチェンドルジェ・リンポチェは空性の慈悲と智慧を備え、名利に淡白で、名利をむさぼりません。そして、心よりただ衆生を利益するために正しい仏法を広めています。こうして十数年間、無数の信衆を助け、この世にある一切の困難と苦痛を軽減してきました。また、常に「直心即道場」にこだわり、いかなる衆生に対してもこびへつらうことはありません。リンチェンドルジェ・リンポチェの弘法利生は、いずれも経典の教えに即したものであり、弟子にこびへつらうことなく、法に従わない者は厳しく戒め、供養を受け取らず、甚だしきに至っては追放することすらあります。法会では、世間一般で行われているような金銭によって仏法を論じることはなく、故に法会では如何なる費用も徴収せず、衆生は一律平等であるとの理念原則にのっとり、功德主や光明灯は設けていません。常日頃より信徒からの供養金は、教派の仏法事業の護持に当てています。

リンチェンドルジェ・リンポチェは1988年に直貢チェツァン法王に皈依し、その後、修行に精進し、戒律を厳守し、仏法を生活の唯一の規範として、ただ根本上師と教派に対して忠誠を尽くしてきました。かつてリンチェンドルジェ・リンポチェは長距離電話で、当時アメリカにいらっしゃった直貢チェツァン法王から「上師相応法」を口伝して頂いた後、修行を開始ししました。このことはいまや、直貢噶舉教派の手本とされています。リンチェンドルジェ・リンポチェは、上師の言いつけや教派に必要なことであれば、少しの迷いもなく、全身全霊をもってこれを護持します。困難を恐れず、自分の財物や生活を犠牲にしても、目的を達成しようとします。

2008年、インドのデラドーンにあるチャン ジョブ リン寺で、貴き直貢チェツァン法王がみずから主催する「恆河大手印」の口訣法会に、リンチェンドルジェリンポチェは教法伝承の尊さを重く見て、特に台湾より200名近くの弟子を連れ、みずから伝法を拝聴し、法輪が常に回ることを示した。法会開始前、リンチェンドルジェリンポチェは直貢チェツァン法王にマンタを差し上げただけではなくて、また、直貢チェツァン法王に稀有で貴重な水晶球と貴重なタンカを供養した。その玉は直径150mmにも及び、透き通って光り輝き、丸く無傷で、大手印の意義を象徴していた。直貢チェツァン法王は、それを法卓の上に置いた。

2009年9月、リンチェンドルジェ・リンポチェの殊勝な著作「快楽と痛苦」の中国語版が出版され、本書は、米国国会図書館、米国ハーバード大学燕京図書館、米国コロンビア大学東アジア図書館、米国コーネル大学図書館、米国ジョンズ・ホプスキンス大学図書館、米国マサチューセッツ工科大学図書館、米国カリフォルニア大学バークレー校東アジア図書館などに寄贈されている。リンチェンドルジェ・リンポチェは、「快楽と痛苦」を書き始める前に、根本上師である尊勝なる直貢チェツァン法王に教示を請い、並びに、序文の執筆をお願いした。チェツァン法王は、リンチェンドルジェ・リンポチェの為に序文を書くことは加持であると、願いを聞き入れられた。なぜなら、直貢チェツァン法王は本書を見て、これが「文字般若」であることを理解し、諸仏菩薩は本書が衆生を利益できることを認められたことを表しているからである。よって、皆さんが本書を読まれる時は、簡単な字句であっても大きな収穫を得ることだろう。それは、仏菩薩と伝承の加持を受け取る所以である。リンチェンドルジェ・リンポチェは細心の注意を払って本書の文章内容を構成しただけでなく、表紙もまた自らデザインされ、非常に深い修行の境地と内的意味について示されました。一冊240頁の內容は簡潔であるが深い内的意味が含まれています。本書がこの世に出て以来、大きな反響を呼び、利益を受けたのは弟子ばかりでない。多くの仏教徒および非仏教徒達も、本書の中から大修行者の智慧の甘露を汲み取り、更に健康な正しい心持ちによって生活の中に存在する幸せと苦しみに立ち向かうことができる。2011年1月まで、この本(中国版)はすでに25,000冊以上販売しました。この本の日本語版は2009年9月に出版して、英語版は2010年12月に出版しました。世界の各国のだんだん多くなる人々は鬱病、躁鬱病などの疾病の苦しみを受けるのが苦しい時、この本は各種の言語の発行の出版にて、苦痛な中から解除して多くの人々を助けることができる。

かつて直貢チェツァン法王はこう言った事が有ります。リンチェンドルジェ・リンポチェが「施身法」と「ポワ法」を修めて成就できた原因は三つあると。それは即ち「前世からの善根」「深く厚い禅定」「教派に対する100%の忠誠心」である。リンチェンドルジェ・リンポチェは三恩根本上師に対し、その身と心をもって供養しています。それは、財物を以って大供養するだけではなく、仏法の修行に精進したり、衆生を利益したりすることであります。毎回閉関修行を円満に終了した後に、初めて直貢チェツァン法王に頂礼する際、リンチェンドルジェ・リンポチェは必ず「今度の閉関修行で得た功徳は、すべて法王に供養します」と唱えます。これは供養法門において、金剛乗仏弟子の上師に対する至高無上、大捨無我の供養心を表すものであります。2004年、ネパールのルンビニで行われた直貢噶舉教派の「蓮花舍利塔」の開光大典で、リンチェンドルジェ・リンポチェは直貢チェツァン法王に3キログラムの純金で鋳造した宗祖ジッテン・サムゴンの彫像を供養しました。これはディクン・カーギ派の1000年の歴史において、初めてとなる純金の宗祖像であります。リンチェンドルジェ・リンポチェは2005年、直貢チェツァン法王の弘法行程が非常に多忙であることから、直貢チェツァン法王が疲れることを懸念して、直貢チェツァン法王のために宿泊地と車を供養して、直貢チェツァン法王の疲れを軽減しました。このようにリンポチェは直貢チェツァン法王を父のように、そして仏陀のようにみなしています。そしてリンチェンドルジェ・リンポチェがを供養することにおいては、真心と全力を尽くしています。また、自発的に、最もきめ細かい思慮をもって、仏の弟子としての最も誠実な心を捧げています。

リンチェンドルジェ・リンポチェは直貢チェツァン法王と教派に対して、常に絶対の忠誠心を持っています。2001年、直貢噶舉教派の巳年大法会上で、リンチェンドルジェ・リンポチェは寶吉祥仏法センターの弟子たちを引き連れ、法王にマンダを捧げ、自ら以下のような誓いをしたためました。

「台湾寶吉祥仏法センターの弟子たちは、真心を込めて尊き直貢チェツァン法王、及び全てのあらゆる大リンポチェたちに供養します。弟子たちは、この世で最も貴重な財宝を使い尽くして直貢チェツァン法王に供養しても、直貢チェツァン法王に法を伝えて頂いた御恩に報いることができないことを十分存じております。故に寶吉祥仏法センターの弟子たちは、本尊、直貢チェツァン法王、リンポチェたちに誓います。我々は仏を学ぶことに精進し、衆生を利益し、菩提を実証して直貢チェツァン法王の御恩に報います。直貢チェツァン法王の長寿と健康、仏法事業の隆盛を祈ります。願わくは直貢噶舉派の法旗が四海に翻り、直貢法脈が永遠にこの世に続き、一切の有情衆生を利益しますよう」

リンチェンドルジェ・リンポチェは、この直貢噶舉教派の法脈の振興についての誓いを一途に守り、さらに近年はそれを行動に移して実践しています。

2006年末、ユンカリンポチェはリンチェンドルジェ・リンポチェに文殊菩薩像を賜り、「十方三世一切諸仏の功徳は、すべてリンチェンドルジェ・リンポチェに有る」「リンチェンドルジェ・リンポチェは、六道の一切衆生を救済することができる」などと祝いました。これは、チベット仏教の上師が大根器の弟子を重視していることを意味しています。また、直貢噶舉教派の伝承においても、深遠な意義を持つのです。

2014 年 11 月 18 日 更新