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2019年尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは台湾において「チベット仏教直貢噶舉派阿弥陀仏無遮大超度法会」を円満に主法された

2019年8月11日寶吉祥仏法センター住持上師-尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは、台北市南港展覽館で殊勝なる第十五回「阿弥陀仏無遮大超度法会」を主法なさった。

この法会のため、リンポチェは特別に数日間閉関なさった。大変なご苦労である。法会開始時、リンポチェは法会参加の動機は非常に重要であると開示くださった。会における一つ一つの動作、念頭はすべて未来世に影響を及ぼす。釈迦摩尼仏は、いかにして輪迴苦海から解脱するかを衆生に教導するため、阿弥陀仏を特別に紹介くださった。人生はあっという間に過ぎ去ってしまう。みなが、与えられたこの機会を大切にし、人生の最後の一秒のために準備をする決定を下すことを望む。

リンポチェは二万人を率い仏法を共修され、眷属得度の場面を祈求し人心を感動で震わせた!諸仏菩薩、祖師ジッテン・サムゴン、歷代伝承上師、尊勝なる直貢チェ・ツァン法王、尊勝なる直貢チョン・ツァン法王、アキ護法の加持庇佑の下、法会は清浄円満となり、功徳は無辺の衆生に広く行き渡った。

「阿弥陀仏大済度法」は直貢噶舉の岩伝密法で、極めて清浄殊勝だ。主法者であられる尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは10年以上の顕教基礎を備え、三恩根本上師であられる尊勝なる直貢チェ・ツァン法王の指導の下、基礎の「不共四加行」から多くの本尊灌頂、並びに閉関修習を円満とし、大手印禅定離戲瑜伽の成就を得ておられる。よって大威徳力、大慈悲心を備えておられるため、大超度法会中では、亡者を済度させ生者に利益できるのだ。

六道衆生の輪迴苦海からの解脱を助けるため、リンチェンドルジェ・リンポチェは大悲願を発せられ、2005年より每年自ら主法なさり、無辺の有情衆、台湾及び世界のために祈福されておられる。今法会には一人のケンポス、三人のラマ、四人の比丘、二十二人の比丘尼を含む三十人の出家衆、及び台湾と世界の20余りの国と地域(注一)から訪れた二万二千人の信衆、弟子が参加した。盛大な規模で、しかも顕密四衆が俱足した。

午前9時、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは経幡、薰香、楽器、八供女、寶傘の先導の下、バラの花びらが敷き詰められた八吉祥の白い絨毯を電動車に乗られて通り、ゆっくりと会場に入られた。荘厳な楽の音が迎請する中、参会者は両手を合わせて立ち上がり恭しくお迎え申し上げた。リンチェンドルジェ・リンポチェは壇城に上がられた後、上師と諸仏菩薩に恭敬に頂礼なさり、尊勝なる直貢チェ・ツァン法王と直貢チョン・ツァン法王如意宝法座にハダを献上し、点灯供仏申し上げた後、法座に上られた。

まず、出家者は参会者を率いて、《八聖吉祥祈禱文》、皈依発心及び四無量心を念誦した。

続いて、マンダを献上する儀軌が行われた。ナンジュ・ケンポスが出家衆と、抽選で選ばれた5人の信衆を率い、衆生を代表して、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェと諸仏菩薩にマンダを献上する請法を行った。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは自らみなを率い『彌陀讚』を唱誦された。荘厳な法音は虚空に遍く満ちた。

その後、リンポチェは開示なされた。

どんな修法であろうと、その前には、法会参加の動機がなんであるかをはっきりさせなければならない。先ほど『八聖吉祥祈禱文』を念じた。今日法会に参加している衆生が一切円満であることを願う。続いては皈依、発心、四無量心だ。これこそ大乗仏法思想の中心だ。発心が広大衆生に利益するためなら、今日得る功徳は無量だ。発心が自分自身の少しの病痛、暮らしの改善のためなら、功徳を得られないかもしれないし、得られたとしても少しの人天福報にすぎない。

続いては七支供養だ。我々は供養を通して、福報を累積したので、今日法会に参加できているのだ。これから行うマンダ献上の供養はチベット仏教密法特有の供養儀軌だ。マンダ献上を通して、法会に参加した信衆は身口意で本尊を供養し、上師を供養し、護法を供養し、大福報を得て今日のこの法会に参加することができたのだ。

誰でも阿弥陀仏を知っている。だが、小乗仏法では阿弥陀仏は伝授せず、大乗仏法にしかない。それは釈迦牟尼仏が、末法時代の衆生は守戒にだけ頼り、禅定にだけ頼っても、この一生で輪迴を解脱することはできないとご存知だからだ。そのため、釈迦牟尼仏は特別に阿弥陀仏本尊をご紹介くださったのだ。

阿弥陀仏は亡者だけを済度なさるのか?この考えは誤りだ。阿弥陀仏は六道衆生を済度なさる。我々は在生の内に、自分がいつかこの世間を離れるための準備作業を行わなければならない。そのため、阿弥陀仏本尊は専ら我々を教導くださるのだ。浄土への往生を発願するには、『阿弥陀経』で非常にはっきりと説いている。第一の条件それは、「不得少福徳因縁」の善男子善女人でなければならない、というものだ。そうでなければ発願できない。「不得少(少なくてはならない)」とは、たまに法会に参加し、たまに香を焚いて拝み、たまに読経すれば福徳因縁があるというものではないと言うことだ。福は供養布施から来る。そのため、今日そなた達が非常に恭敬な心で、衆生を代表して法会に参加しているなら、この福報は最大だ。法会に参加し隨喜功徳できるなら、この福報は非常に大きい。「隨喜」とは、どれだけの紅包(ご祝儀)を包むということではない。どれだけの人が、この法会のために財力、心力、体力で貢献したかを賛嘆することだ。そのおかげで、そなた達は今日参加できたのだ。

今日が初めてだという者もおろう。何度も参加しているという者もおろう。私はこの法会をすでに15回開催している。法会全体の流れとすべてのスタッフの態度に、誰もが満足するのは当然不可能だ。だが歓喜心を抱き法会に参加しているなら、不如意だと感じる事がいくらかあったとしても、発生することはない。この15年、弟子達が金銭と能力を自ら費やしこの法会(注二)を開催してきたのは、名利のためでなく、ただ広大な輪迴苦海の衆生のためだ。今日申し込みして参加しているのは二万二千余りだ。だが記録されている済度が必要な単位数は19万4千余に上る。なぜ単位数を言うのか?それは一単位の済度名簿が数百の衆生を、さらには数千、数万の衆生を含む場合もあるからだ。こんなに大規模な済度法会は今の所まだない。

私がこの済度法会を開催する際、済度リストは紙に書くのではない。済度されるべきすべての名簿はコンピューターに入力され、CDで保存される。その利点は、第一に非常に多くの人力を節約できること。第二に環境に優しいことだ。自分自身がまだ信衆であった頃、寺で済度法会に参加した。その際には、非常に多くの人が、あの黄色の紙をめくり、自分の済度名簿が記録されているかを調べているのをしばしば目にした。みな何でも食べるが、損だけは食べないのだ!金を払ったのに、記録するのを忘れられたのではないかと恐れている。今日そなたは来た。恭敬の心、誠懇の心がある。そなたと生生世世に関係がある冤親債主もいっしょに来ているのだ。今日法会に参加したのが、法会後に良い生活を送れることを望むだけなら、これら冤親債主がいっしょに来るとは限らない。

法会が始まる前に、みなと法三章を約しよう。非常に多くの人が、法会中にトイレへ行く。これは非常に失礼な事だ。演奏会へ行き、休憩時間でもないのに外に出れば、休憩時まで戻っては来られない。なぜ法会参加でこんなにもいい加減なのか?好きな歌手のコンサートに行く。途中でトイレへ行きたくなっても、聞き逃すのが嫌で、外に出たいとは思わないだろう。つまり法会中にトイレへ行くのは、法会に参加する準備ができていないと言うことだ。今ここに公布する。65歲以上の者、手術したことがある者、膀胱が無力なものは勝手に行くが良い。8歲以下の者も勝手に行って良い。今トイレからゆっくり戻ってきている者はとんでもない者だ!三宝を尊重しなくともどうと言うことはない。だが少なくとも自分達の冤親債主と祖先を尊重しなければならない。そなた達が恭敬にここに座っていなければ、彼らは入って来られないのだ。名簿に名前を書き、私が念じれば、彼らは来られるなどと思ってはならない。彼らが来られるのは、そなた達のおかげなのだ。仏菩薩のおかげではない。そなた達は「仏菩薩はすごいお力を持っている。大神通をお持ちなのではないか?」と必ず言うだろう。だが忘れてはならない。仏はかつて「無縁の衆生は済度できない」と開示くださった。無縁とはなんだ?それは参加する人が、衆生が済度される準備をしていないと言うことだ。

今日そなた達の法会参加中の一つ一つの動作、一言一言、一つ一つの念頭はすべてそなたの未来世に影響を及ぼす。主法者として、そなた達に言わないわけにはいかない。そなた達について言えば、リンポチェがまた人を罵ると言うだろう。実は経典では、釈迦牟尼仏がしばしば人を罵ると何度も言っている。仏は私より慈悲深くていらっしゃるが、やはり罵るのだ。なぜ罵るのか?それはそなた達が全く言うことを聞かないからだ!来年は開催しないかもしれない。そなた達から金銭を徴収せず、二時間座っておれと言うだけなのに、座っていられない。それならそなた達はこの一生で何ができるのか?今日は私のためではない。そなた達のためなのだ。私はすでに72歲だ。15年間金銭を徴収せず広告も出さなかったのは、すべてそなた達のためだ。それでもやはり三宝を尊重しない人がいる。後で必ずトイレ休憩の時間を設ける。そなたの歷代の祖先を尊重するように!

この後修法を開始する。トイレへ行きたいなら、勝手にせよ。修法開始後は必ず多くの衆生が入ってくる。彼らの神識は安定していない。中陰身は陽気を恐れるので、つまり人を恐れるのだ。彼らはそなたを目にすれば避けようとする。また済度させられなければ、それは誰の責任になるのだ?私ではない。そなた達だ。そのため演奏会を聴きにきていると考えて、少し我慢するように。

私が何をしているかわからないので退屈だと考えてはならない。私が何をしているかそなた達には当然分からない。分かるなら、そなたが法座上にいるだろう。下に座っている必要はない。そなたは一つの事だけ知っていれば良い。それは今日開催されるこの法会は私のためではなく、すべての苦海の衆生のためだと言うことだ!我々二万人余りが心を一つにして、精神を集中して、衆生のために法会に参加すれば、この福徳は無量無辺だ。もしそれでも利己的な考えがあるなら、私とは無関係だ。そなた達の事だ。今日この法本は密法だ。顕教の法本ではない。密法で成就を得なければこの法を修めることはできない。私が念じてもそなた達には分からないだろう。だが、一段毎に私は短い説明を行う。そなた達が定まっていられればいられるほど、私の修法の速度は速くなる。なぜか?それはそなたが定まれば、衆生もそなたといっしょに定まるからだ。そして邪魔が少なくなるのだ。

[リンポチェは修法を始められた]

第一段では先ず一切諸仏、本尊阿弥陀仏、一切上師に皈依する。皈依は我々が成仏するまでだ。この皈依力がやはり存在するのは、不共の皈依であり、衆生が皈依に来たことを示す。続いては駆魔だ。駆魔とは魔に対処することではない。法会の進行を邪魔しようとする衆生を離れさせるのだ。釈迦牟尼仏が成仏なさった時、未来世でできるだけ衆生を邪魔し、衆生の生死解脱を阻むと魔王が言ったからだ。その後は供養と観想だ。浄土宗を修める人はみな、浄土十八観があると知っている。これはその内の一つだ。密法なので説明しない。

[リンポチェは修法なされた]。

この段は上師と本尊の無二無別を観想する。法会現場全体と浄土が同じだと観想する。続いては八供養だ。修法するまでは常に供養し続け、自分の福報を累積し仏法の救いを受けなければならない。

[リンポチェは参会者を率い阿弥陀仏心咒を持誦なさった]

続いては阿弥陀仏に壇城安座を恭請申し上げ、さらにもう一度八供する。俗に「どんなに礼を尽くしても人はとがめない」と言うが、供養とは実質的な物を指すのではなく、心だ。誠心誠意供養するのが一種の恭敬心だ。諸仏菩薩は物質を必要とされない。だがこの種の供養の方法を通して、自分の福が非常に浅いことを理解し、自分が普段恭敬心がないことを理解する。供養を通して、仏菩薩に対する恭敬心が起きなければ、供養の福報は生まれない。七政宝、七近宝、八瑞物、八吉祥、八供養天女を供養する。八供養天女は密法無上瑜伽部を修める際に非常に重要だ。

[リンポチェは修法なされた]

前の方は本尊讚頌だ。本尊讚頌も自分の福徳因縁を素早く累積できる法門だ。続いて主法者は修法し、本尊と非常に綿密な連携を生じる。上師の修法が本尊の心を感動させ、すべての衆生に加持する。続いて宝瓶を修める。その後上師は自分自身を阿弥陀仏灌頂に捧げる。凡人の肉体を本尊の身口意と無二無別に転化する。後の方では済度するので、凡夫の肉体では済度できない。本尊の加持が必要なのだ。

ここでそなた達の好奇心を少し満たしてやろう。瓶灌は累世の一切の業障を消し、清浄な本性を回復させることができる。仏像を頭上に置くのは、つまり本尊と無二無別だ。甘露水を喉に入れ、加持灌頂後に、ようやく持咒の権利を得ることができる。たくさんの人が、咒語は聞けば、すぐに念じられると思っているが、そうではない。そなた達が咒語を念じるのは、叱責、論争よりは良いだけだ。人としては非常に良い事だ。だが成就を得たいなら、耳にして念じればそれで良いと言うものではない。成就とは、この一生で生死解脱でき、しかも衆生に利益できることだ。今日私が修法するように、修法の二日前には閉関し十万遍阿弥陀仏心咒を念じなければならない。

[リンポチェの修法後、八供女は空行母の歌を奉納した]

先ほど歌ったのは、空行母の歌だ。この曲は人類が書いたものではない。顕教を修める人は空行母に詳しくないだろう。密法修行では、空行母は非常に重要だ。法王がこの曲を聞かせてくださった後、非常に自然に八人の女子を見つけてきて学ばせることができた。この曲の内容は、主に諸仏菩薩と上師の功徳を讚歎している。今のところ台湾の密教道場で、このような訓練をしているのは寶吉祥だけだ。法王はこれを教えてくださったことはないが、この事を常にご支持くださっている。空行母の曲は一般の法会では出現しない。大型の法会でしか出現しない。もしこの一生で空行母の歌を聞いたことがあるなら、耳が聞こえなくなることはほとんどない。これよりトイレへ行っても良い。先ずは65歲以上の長者に譲り優先するよう。

[供品を配る時、会場の誰もがリンチェンドルジェ・リンポチェが加持くださった供品を受け取り、法会において、本尊上師と共食する得難い殊勝なる善因縁を頂戴した。供茶及び供飯儀軌の後、リンポチェは済度させたい人の名を三遍唱えるよう皆に指示した]

先ほど手にしたのは鏡だ。仏法では説明がある。我々の意識は鏡のように本来は清浄なのだ。我々の心は鏡のようで、世間のあれこれを映しているだけなのだ。もし物が鏡の前から移動すれば、鏡の中には一切の影像は残らない。生生世世の貪嗔痴慢疑と言うこの五毒は、我々が実在すると考える、好き、楽しい、憂鬱などの汚れを鏡に塗りつける。我々の本来清浄な本性を汚れで塗りつぶしてしまうのと同じだ。鏡は見えにくくなってしまう。そのため先ほど修めた一切の法は、亡者の生生世世の煩悩を清浄にした後、清浄になった本性は仏の清浄な本性に初めて触れることができるのだ。

[侍者は参会者を代表して亡者の位牌を捧げ、主法者の前に跪いた。参会者はすべて恭しく起立し合掌した]

上師の前、阿弥陀仏尊の前、壇城上では一切本尊の眷属だ。今日そなた達は一切の亡者を代表しすべての一切の大悲心怙主—つまり本尊と上師に改めて皈依するのだ。輪迴している衆生は中陰時、救度を得ておらず、恐懼の中で痛苦を受けている。大悲阿弥陀仏が悪業でがんじがらめになっている輪迴苦海の衆生をお見捨てにならないことを願う。我々を極楽土にお導きくださることを願う。みな私に従い唱えるように。「中陰恐懼閻魔関。煩悩痛苦所折磨。淒涼処境徘徊著。慈悲之力祈救護」亡者が壇城の上師に向かって三度お辞儀していると言うことを示している。

[リンポチェは修法し亡者を済度くださり、修法は円満となった。リンポチェの摂受の下、大多数の参会者は最初から最後まで心を定めて集中し法会に参加した。わずかに動き回っている人はいたが、会場は荘厳で盛大だった。]

今日は早めに終了する。あまり叱責しないからだ。今日は何がどうあろうと、みなに次の非常に善なる縁を植え付けた。半分しか信じないとしても、半分の縁があり、半分の福報があり、未来世で役に立つ。最初から最後まで座っていた者、始めもあれば終わりもある者は、今後何をするとしても始めもあれば終わりもあり、中途半端になることはない。何かと理由があって席を離れなければならないと思っている者は、今後の仕事でも何かと理由があって離れることになるだろう。自分自身が作り出しているのだ。

開始の際にすでに言っている。今日の一つ一つの動作、一つ一つの考え、一言一言がそなたの未来に影響する。そなた達は因果を信じず、私がおもしろいことを言っていると思っているだろう。今月私は非常に忙しい。200名の弟子を連れて北インドのラダックで法王の寿誕に参加して来たばかりだ。8日間の日程だ。台湾に戻って来てから二日しか経っていない。二日間は閉関していた。正直に言えば、今日私はあまり気分が良くない。だが、私の中気はやはり非常に充足しているのが見て取れるだろう。それは私が三宝を信じ、衆生の苦を目にし、自分自身が重要でないと言うことだ。そなた達には自分が一番重要だ。だが、衆生がいなければ、我々もないと言うことをそなたは知らない。今日法会に参加できているのは、非常に多くの人の貢献があったからだ。皆が快適にここに座っていられるようにしてくれている会場を含めてだ。

チベット、ラダックなどの地方で法会に参加しても、こんなに座りごごちの良い椅子などない。地面に座るか、自分で何かを持って行って座るしかない。だが、ラダック、チベット、青海では、我々のような、この種の法衣を着ている者を見つけると、実に自然に合掌してくれる。誰であるかなど関係なく、法衣を着ているなら、恭敬にしてくれる。だがここでは、皆さまざまな考えを持っている。

続いては72歲の私が、これまで通り甘露水でそなた達を灑浄する。この甘露水は法本に基づき、6種の良薬を加えている。すべて漢方薬だ。また、甘露丸はミネラルウォーター内で、さらに私がひたすら修法持咒し加持した。灑浄の作用は、今後の学仏の障礙を消し、浄土往生の障礙を消してくれる。もしそなた達が今日から始めるなら、この一生で確かに菜食し、法に背かず、非法な事を行わず、今日の法会の壇城と上師の様子を記憶していさえすれば、この一生で非常に精進して修行しなくとも、将来息をひきとるその剎那に、今日の法会の壇城と上師の様子を記憶していさえすれば、地獄、餓鬼、畜生道へ堕ちることはないと私が保証する。当然言いつけを守らず肉食、作悪を続けるなら、これらの保証はない。そのため、あれらトイレへ行った者の保証は半分だけだ。それは信じていないからだ。私とは無関係だ。では席に着くように。灑浄を行う。

この時リンポチェはすでに胡坐をかいて三時間余り修法なさっていたが、確かな足取りで素早く法座を下りられ、電動車で会場全体(会場は7,000坪ありサッカー場約二個分)回られた。リンポチェは手に吉祥草を持ち、それを甘露水に浸し、絶えず参会者に向かって灑浄し、三十分もの間持咒加持を続けられた。会場全体を灑浄するには、リンポチェは痩せたお身体で、甘露水をいっぱいに吸って重くなった吉祥草の束を500回以上も力を込めて振る。それは非常に大変なことだ。皆を灑浄した後、リンポチェの全身はすっかり濡れていた。再度壇城に上り誠意を込めて皆に呼びかけられた:

今日この法会を開催できたのは、そなた達が参加したからだ。そなた達がいなければ、この法会もないのだ。

私の道場は千人余りしか収容できない。そのため、リンポチェに皈依しようなどと思わないでほしい。私はこんなにも多くの人を受け入れられない。そなた達がこの一生で如法学仏するなら、どこかの道場がそなたと有縁だろう。しっかり学仏し、この一生を無駄にしてはならない。

人生は瞬きする間に過ぎ去ってしまう。そなたがどれほど忙しかろうと、どれほど金持ちだろうと、どれほど権勢を有していようと、最後の一秒は誰もそなたを救えない。諸仏菩薩と上師だけが救ってくださるのだ。皆が今日与えられた機会を大切にすることを望む。以後続けるかどうかは、自分で決めよ。仏菩薩や上師とは無関係だ。1982年この種の因縁があり、私は根本上師、法王にお目にかかれた。法王は何を行えと仰せになったが、行わないと決めることもできたし、行う必要もなかった。今日この済度法会の法本は、法王が17年前に一度だけ私に聞かせてくださったものだ。そして「修めよ」と仰せになった。ただそれだけだ。

学仏は長談義だなどと思ってはならない。学仏で最も重要なのは、自分自身の心が決定を下すかどうかだ。決定を下したなら、上師が教える一字、一言、一冊の経、一句の咒語は、生生世世に役に立つ。私の真似をして度衆などするな。度衆は苦労する運命の人がすることだ。そなた達は福報がある人なので、生活を楽しむことができる。だが、生活を楽しみながらも、「人生無常」をはっきり認識しなければならない。無常とはいつでも変化すると言うことだ。良いものが悪くなり、悪いものが良くなる。毎日日常的に行うべき事を努力して行えば良い。だが自分自身の一生にも留意しなければならない。最後の一秒で救ってくれるのは誰だ?

子や孫に囲まれ、夫や妻がそばにいなければ幸せに死ねないなどと思ってはならない。これでは逆に死ぬ際にとても辛いのだ!私は済度の専門家だ。1995年より、どれだけの衆生を済度させたか数知れない。子や孫に囲まれた人は死の際にとても苦しむ。それはあれもこれも考え、最後のがまだ来ないと言って、死にたくないと思う!妻と慈しみあっていても死にたくないと思う。夫に愛され過ぎていても死にたくないと思う。金があり過ぎても死にたくないと思う。死にたくないので一年、二年入院しても死ねない。なんと苦しいことか!病院でこれら衆生を見る度に、哀れだと思う。往生の際に苦しまないことを皆望む。それなら今のこの機会を逃してはならない。今病気でとても苦しいなどと思ってはならない。金がなくとても苦しいなどと思ってはならない。仕事がうまくいかずとても苦しいなどと思ってはならない。これら苦しみはすべて一時的なものだ。解決する方法も処理する方法もある。ただ死の苦しみは、仏法にしか救えない。世間では今のところ、未来まで、死ぬ際の苦しみを免れさせてくれる方法はない。

仏法の最も偉大なところはここだ。我々は誰もが一人で死に向き合わなければならないからだ。私の修行方法は特別だ。耳障りの良い話ばかりして、皆を喜ばせると言うことはない。それは仏が、人は自分の生死に向きあわなければならないと教えるからだ。人は生死の苦をいかにして解脱できるのか?そのために上師がおり、仏菩薩が出現されたのだ。人生の数十年は過ぎ去ってしまった。自分の人生はいったいなんだったのか、みなに良く考えてほしい。

仏法は消極的な教えではない。「どうしたって死ぬのだ。そこに座って死を待つだけだ。どうでも良い!」と考えるのではない。このように仏菩薩を誤解するなら、平手打ちをお見舞いしよう!死を待つのではない。死があるからこそ、努力して自分自身を変えようとし、努力して広大な衆生に利益しようとするのだ!仏法は非常に殊勝だ。金で買えるものではなく、学問で学べるものでもない。具徳の上師に従い、如法で仏法を学べば、この一生で必ず救われる。

最後にもう一度言う。「肉食してはならない!」それでもなお肉食するなら、仏も救うことはできない!ちょっと食べるくらいどうと言うことはない、栄養が足りないのではないかと心配だ、などと思ってはならない。「肉食すれば地獄に堕ちるのか?」堕ちる。『地藏経』で言うのだ!地藏菩薩のある一世の母親は、スッポンの卵を好んで食べたので、死後地獄に堕ちた。そなた達はどれだけ食べているか、考えてみよ。今日はすでにいくらか清めてやった。この上はこれ以上肉食を重ねないように。「病になってもどうと言うことはない。医者が救ってくれる」などと思わないことだ。医者はそなたの命を救えない。医者が救えるのは簡単で死なない病だけだ。だが、業障病は治療できない。そのため、努力して肉食する人は、努力して病になり、しかも肉食する人の運はどんどん悪くなる。これは事実だ。私は36歲から学仏を始めた。非常に多くの工夫を費やして、ようやく累世の肉食の悪業の大部分を清め、今もまだ返している。いくつかの阿弥陀仏を念じれば返済が終わった、などと思ってはならない。非常に努力して返さなければならない。考えてみよ。そなたは衆生の命を食べているのだ。衆生はどうやって取り戻すのだ?魚を食べるが、魚は何も感じない、などと思ってはならない。魚には感覚がある。霊性があるのだ。機会があれば、話をして聞かせよう。今日はみなに助けになることを願う。年寄りの教訓話はここまでにする。ありがとう!

法会は円満となり、参会者は起立して恭しくお送り申し上げた。リンポチェは微笑を浮かべて、会場に手を振り挨拶なさり、同時に慈悲なる眼差しで一人一人を加持くださった。誰もが心中に感激と感動をあふれさせた。

後記:

今年の法会には、寶吉祥寺の予定地である苗栗県造橋鄉龍昇村の住民も参加していた。リンチェンドルジェ・リンポチェの寶吉祥寺が、今年、政府の批准許可を受けて建設に着工して以来、リンポチェはポケットマネーを出して、寶吉祥寺を護持する弟子と信衆大徳達がみな寺へ見学に訪れることができるようにしておられる。今のところ既に二十八回の見学会が行われ、計3,166人が訪れている。一つには、リンポチェは護持者に対して責任を負い、二つにはこれにより地元経済を活性化しようとされている。見学団が毎週訪れる際には、村民達が用意した昼食をコミュニティセンターで食べ、ファーマーズマーケットで農産品を購入し、地元の経済は活性化している。これにより、若者達も故郷に手伝いに戻るようになり、村の老人はそのため世話を受けられるようになり、また生気を取り戻している。村民はリンポチェに感謝し、リンポチェが大法会を開催すると聞き及び、高齢者も幼児も伴って団体で喜んで参加したのだ。

今法会の済度申し込み名簿は19万4千余りにもなり、法会中では済度が必要な亡者の名前がスクリーンに映し出された。今回の法会では特別に、スクリーン上で寺を護持する大徳の名簿が放映された。リンポチェは寶吉祥寺の護持を発心した大徳達に感謝するため、今回の大法会及びこの後每月の施身法法会で、寺を護持する大徳の歷代の祖先、累世の父母、冤親債主を済度してくださる。

例年通り、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは、参会者がリンポチェに供養した5,782,317元を全額寄付なさった。衛生福利部社会及び家庭署(社家署と略称)、弁護士、銀行代表が見守る中、半分は財団法人仏教チェ・ツァン法王基金会(2,891,158元 )に寄付し、半分は社家署302専用口座に入金し、リンチェンドルジェ・リンポチェの慈善チャリティ及び社会福祉専用(2,891,159元)とした。過去台南、花蓮大地震等の大災害が起きた際には、専用口座から救助に資金が支出されたばかりか、リンチェンドルジェ・リンポチェはさらにご自分で資金を出して寄付を増額し、被災民の復興に協力なさってきた。政府部門は特別に記帳して登録し、書状により感謝した(リンチェンドルジェ・リンポチェの社会公益慈善寄付参照)。リンポチェは参会者のために善事を広く行い、広く善縁を結び、これまでの寄付は9041万元にも達している。

注一:参会者は米国、カナダ、オランダ、ドイツ、ノルウェー、フランス、スイス、中国、香港マカオ地区、オーストラリア、日本、韓国、シンガポール、マレーシア、インドネシア、フィリピン、タイ、ミャンマー、ベトナム、インド、ホンジュラスから訪れていた。

注二:例年の大超度法会では一切費用を徴取せず、すべての支出はリンチェンドルジェ・リンポチェの監督の下で、寶吉祥仏法センターの弟子が共同で護持し、無遮平等であるため法会では功徳主を設けず、5人のマンダを献上する代表及び2,000人の点灯供仏代表は信衆が入場時にくじを引いて決定したものだ。法会の会場でも、チャリティ販売などの商業行為は一切行われず、法会の清浄を保持している。


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• 中時電子報:寶吉祥は大法会を主催し、2万人は現場で幸福を祈った
• 新浪新聞 大成報:寶吉祥は「大法会」を主催し、2万人は幸福を祈り578万元を公益慈善に寄付
• HiNet生活誌 民眾網:HiNet生活誌 民眾網:寶吉祥は大法会を主催し、2万人は幸福を祈り578万
2019年阿弥陀仏無遮大超度法会前の紹介ビデオ
2019年阿弥陀仏無遮大超度法会の法会開示
2019年阿弥陀仏無遮大超度法会のフォトギャラルー
2019年阿弥陀仏無遮大超度法会参会者の感想

2019 年 09 月 12 日 更新