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舍衛城再訪——法王の寺院開光式典に参列

チベット仏教は因縁を最も重視する。上師の心願または上師に許予された善事は、弟子は少しも躊躇することなく受け入れ、歓喜の心で尽力するものだ。リンチェンドルジェ・リンポチェは正にその最も良い実践者であられる。三恩根本上師である尊勝なる直貢チェ・ツァン法王の満願のため、リンポチェは金銭も力も尽くして、大舍衛城寺院の建設を護持された。この歴史ある大乗仏法の縁起地に栄光が再現されることで、仏陀の教えが世に広まり、より多くの衆生に利益できるだろう。

この善縁はついに開花し実を結んだ。荘厳な寺院は円満に竣工し、舍衛城に雄々しく聳え立った。170名あまりの寶吉祥の弟子と信衆は、リンポチェに率いられ舍衛城を再訪し、荘重な開光式典に参列した。

2018年10月29日に始まった7日間の旅において、寶吉祥の弟子は幸運にも、尊勝なる直貢チェ・ツァン法王、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの仏法開示を拝聴でき、また二人の大修行者に従い、祇樹給孤独園へ赴き、仏陀安居処にて求生極楽浄土文を唱誦することができた。新しい寺の大殿内で、リンポチェは自ら弟子を率い六字大明咒を持誦しながら繞仏なさった。祇園の大菩提樹下で、リンポチェは弟子を率い坐禅を組み、あたかも済度した衆生に仏陀が法音を宣流なさった当時のようだった。多くの者達がリンポチェに従い仏陀の足跡を追いながら、上師の心遣いを感じ、遍く満ちる上師の慈悲加持力を改めて知った。

舍衛城は2500年前に仏陀が25年間、結夏安居した町で、かつては豊かで安定した地域だった。給孤独の長者は黄金を地に敷き仏陀を招き正法の宣説を受け、貴重な経典が無数に残された。数々の無常を経て、現在の舍衛城は古びて荒れ果てており、ただわずかに残る遺跡が後人に在りし日を忍ばせている。尊勝なる直貢チェ・ツァン法王は聖教の衰微を残念に思われ、世界中の仏教徒が仏法聖教を親炙できるよう、2013年「大舍衛城計画」を始動なされた。今年、寺院の創建が円満となった。師弟の同心が今日の碩果を成就させたのだ。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは法王の支持に従い、世界各地の弟子を率いてこの大事に参画し、復興及び再生しようとしている舍衛城をその目で確認なされた。

2018年10月29日(月曜日)
寺院の開光式典と第四回舍衛城仏教文化祭に参加するため、10月29日、リンチェンドルジェ・リンポチェは170人余りの弟子と信衆を率い、台北をたってインド・舍衛城に向かわれた。海外の弟子は、フランス、中国、香港、シンガポール等からデリーで合流し、殊勝なる巡礼の旅が始まった。

2018年10月30日(火曜日)
デリーで一夜の休息を取られた後、リンポチェは弟子一行を率いて国内線に乗りラクナウへ向かわれた。昼食時、リンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲深くも上師と昼食を共にする機会を弟子達にくださった。当地の信衆はリンポチェの来臨を知り、加持を求めて拝謁に訪れた。

正午過ぎ、一行は迅る心を抱え、埃だらけの凸凹道を車を急がせ、午後5時頃になって舍衛城に到着した。寺院は雄々しく聳え立ち、数十羽の燕がその上を旋回していた。入口には「大舍衛城仏教文化祭」への参加を歓迎する「Welcome to the Great Shravasti Buddhist Cultural Assembly」との表示が高く掲げられていた。

2018年10月31日(水曜日)
この日リンポチェは弟子を率い寺院にて式典に参列なさる。弟子達と食事を共にされるため、早朝7:20、リンポチェはホテルのレストランにお入りになったが、出家衆弟子は遅れて来た。リンポチェは出家弟子に前に出るようご指示になった。一人の女性出家衆が慌てて前に出たが、自分が男性出家衆の前に立っていることに気づかなかったので、リンポチェは「そんなに急いで一番を取りたいのか?比丘尼は比丘の前に立ってはならないことを、私は比丘戒を受けたことがないので知らないと思っているのか?ツアーリーダーは七時に朝食だと通知したのに、そなた達は遅れてくる。何時に来たのだ?(出家衆弟子は一人一人答えた)寺では普通、朝は五時半に起床する。そなた達は幸せなことだ!旅行だ、休暇に来ている、とでも思っているのか?そなた達の旅費は協会が出しているのだ。1500人の衆生が出しているのだ。どうやって返すつもりなのだ?そなた達は衆生を率いなければならないのに、彼らより遅れている。なんなのだ?先ごろ伝えた食前供養文法本は念じたのか?そなた達は部屋で早課を行ったのか?部屋で念じて何の役に立つのだ?そなた達はほんとうに私が朝食を取りに来たと思っているのか?」と叱責なされた。

リンポチェは様々な善巧機縁を捉えて、いつでも慈悲深く弟子達を教導し、普段の生活を通して仏法を実践されている。弟子達は感謝して領受した。

朝9:20、弟子達は寺院に到着した。手に教派旗と寶吉祥仏法センター旗を持ち、寺院入口で尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの到着を恭しくお迎え申し上げた。

寺院に到着後、リンチェンドルジェ・リンポチェは休息室に招かれた。しばらく後、チベット伝統の獅子舞の歓欣前導の下、尊勝なる直貢チェ・ツァン法王はリンチェンドルジェ・リンポチェ、他のリンポチェを率いて寺院へ向かわれ、開光のテープカットを行われた。リンチェンドルジェ・リンポチェは法王に付き従い、法王と共に灑米灑浄儀軌とテープカットを行われ、寺院の主殿大門を開けられた。

この神聖な時にあたり、直貢チェ・ツァン法王はリンチェンドルジェ・リンポチェの手を取り共に大殿に進まれ、仏の周りを一周なさった。リンチェンドルジェ・リンポチェは唯一人、法王に従い大殿に入ったリンポチェであった。ここでも、法王がかつてリンポチェに授記された「師弟二人は永遠に共に仏法の大道上でより多くの衆生に利益する」が証明された。

この日は快晴だったが、そよ風が吹き、開光式典会場中央には釈迦牟尼仏の法写真が捧げられ、正に清涼な法界であった。法王はテープカットの後、会場に入られ主法座に上られた。リンチェンドルジェ・リンポチェは法王の正面の一列目中央貴賓席に座を占められた。

法王は先ず、この重要な式典に参加しているすべての来賓に歓迎のお言葉を述べられた。法王は「今日は釈迦牟尼の『天降日』であり、第四回仏教文化祭の日である。舍衛城は仏教の聖地だ。ここで行われる行事は、心と社会に対して非常に大きな救いになる。しかも舍衛城寺院の開光により、結夏安居、静坐、文化教授等の国際的な活動を行うことができるようになった。舍衛城寺院の開光は第一歩に過ぎない。ここで中心から外へと広げ、仏教を発揚するだけでなく、ここを国際的な都市、グリーン・シティとすることができる。アクセスを便利にすることで、より多くの人がここを訪れ、ここがより発展するよう、空港建設についてすでに政府と交涉している。舍衛城の発展のため、多くの心力を投入して来た。各界の支持と来臨に感謝する。2020年、ここに皆が再来できることを願う」と開示された。法王は最後に、この地に一株の樹の苗を贈られ、グリーン・シティ建設の善縁を開かれた。

司会者は続いて、舍衛城の今日の建設がなったのは、多くの賛助者の護持があったからこそだと述べ、法王は主だった貢献者に記念の品を贈った。主要な賛助者の一人目は、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェであった。リンポチェは直ちにステージに登り法王に頂礼、ハタ献上を行った。法王はリンポチェに釈迦牟尼仏の仏像と金色の包みを贈られた。法王は特別に中国語で「リンチェンドルジェ・リンポチェは、ここで最も主だった賛助者であるばかりか、中国、海外、たくさんの場所において、直貢噶舉に非常に多くのサポートをしてくれている。リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝する」と開示なさった

盛大な開光式典は正午12時頃に終了した。直貢チェ・ツァン法王はリンチェンドルジェ・リンポチェに付き従われ、グリーン・シティ建設の開始の象徴となる寺院で初めての植樹を行なった。法王はリンポチェに二本目の植樹を行うよう指示なされ、リンポチェは二本目の苗木のために土をおこし、土をかけられた。法王のこのご指示には、言うまでもなく、深い禅意が込められている!

舍衛城の気候は乾燥して高温となるが、リンポチェは午後1:40頃ようやくホテルへ戻り食事を取られた。お疲れのところ、上師と同室で食事する機会を皆に賜り、時間を見て部屋へ戻って休息するよう、慈悲深くも皆に心を配られた。

夕方5時、法王とリンポチェは弟子達を率い、祇樹給孤独園内の「仏陀香舍(Gandha Kuti釈迦牟尼仏が常駐した建物の遺跡)」へ向かわれた。法王はリンポチェとラマ、出家衆等を率い修法し、〈求生極楽浄土祈請文〉を唱誦くださった。黄昏の頃、壇城上の蓮花灯は辺りが暗くなるに従い、徐々に七色の光を放ち、法王とリンポチェは衆生の苦海離脱、浄土への往生を慈悲深くも願われ、煌めく炎と夕霞の中、誦経の声が響き渡った。千百年来、荒れ果て忘れ去られていた舍衛城の聖跡についに栄光が再来したのだ!

その日の夕食では、リンチェンドルジェ・リンポチェは、法王、リンチェンドルジェ・リンポチェ、及び攝政王・赤札・リンポチェと共に食事を頂戴する機会を弟子たちにくださった。リンポチェは、すべての弟子に、ホテル内で法王に頂礼するよう指示なされた。夕食の最中、リンポチェは金箔で法王を供養なされた。

2018年11月1日(木曜日)

法会の二日目、弟子達は有り難いことに上師と朝食を共に頂戴した後、9:30に出発して寺院へ向かいリンポチェを恭しくお迎え申し上げた。

法会の席は、直貢チェ・ツァン法王が中央の主法座に座され、法王の右側は攝政王・赤札リンポチェ、リンチェンドルジェ・リンポチェ、左側はヌバ・リンポチェと、教派中の三人の大リンポチェが座された。法卓は赤いテーブルクロスで覆われていた。

法王は法会において『法句経』を開示くださった。法王はすでに4年連続で舍衛城で『法句経』を開示され、経中の仏陀が舍衛城で講法された内容についてもっぱら開示されている。法王は今回はShagamaの女性居士の故事を例とされた。女性居士の父親は彼女の結婚時に、舅と姑を敬い、夫に仕え、家庭を支え、親戚や友人と交流するよう教導した。また、彼女が子供を生み育てた後には、貴重な衣服を給孤独園に遺落したことで、これが因縁となり、阿難尊者を供養した故事について開示くださった。

法王は「女性居士の父親が十の告誡を与えた際の話の内容は非常に分別があり、どんなことを言うべきか、どんなことを言うべきでないかが分かる。現在はテクノロジーが発達し、たくさんの通信設備が生まれている。不注意で容易に口業を犯してしまう。ここでは、話をする前には智慧を持って先ず判断し、語の業障を取り除かなければならないと教えている。さらに、夫及び舅姑との間には、火に当たる時のように、一定の距離を保つことも述べている。今日の社会においても、みなお互いに尊重すべきだ。上師と弟子との間、功徳主と功徳主との間、親戚や友人との間でも、人と人との関係で適当な距離を保つことは非常に需要だ。近過ぎれば面倒を招く」と開示なされた。法王は過去の名言を引かれ「火に当たる時と日光浴する時には適当な距離を保たなければならない。近過ぎれば自身に害が及ぶ。同様に私達が親戚や友人達の面倒を見たり保護したりする時にも、遠くから照らすようにしなければならない。近付き過ぎれば問題が起き、さらには不愉快が生じてしまう。これらはすべてかつての人が生活の中で得た経験のまとめであり、今日でもなお適用できる」と開示くださった。

「経文中では父母と年長者を尊重しなければならない、と私達を教導する。古代インドにも漢族の文化にも、このような道徳がある。この素晴らしい伝統を盛り上げていかなければならない。若者の中には、年老いた父母が小さな家に住んでいるのに、自分は贅沢な暮らしをしている者もいる。これは良くない。若者もいつかは老いるのだ。自分が老いた後、子供が自分に対してこうであればこの上なく辛いだろう」と仰せになった。

法王はこの女性居士の故事を用いて、「誰もが生まれれば必ず死ぬのだ。集めた財富も最後には散じてしまう。私達は機会を捉えて行善に力を尽くさなければならない」と諸法無常を開示くださった。法王は二人のドイツの信衆が病気になった話を例に挙げ「普段仏法を学習していなければ、病痛に直面した時の心持ち、受け入れの程度は違ってくる。私達は無常を受け入れることができる」と観死無常の重要性について開示なされた。

法会の終了後、リンポチェは法王が壇城を降り、会場を出られるのに付き添われたが、法王が上車なさった後、先にホテルに到着し法王を恭迎するため、リンポチェは急いで車に飛び乗られた。その素早さは禅定中でいう奔跑のようで、随行の侍者、警護員も付いていけないほどだった。このように凸凹な黄沙の泥地でも勇猛に奔走できるとは、とリンポチェが何事につけても師を恭敬する様子を誰もが賛嘆した。

正午、法王とリンポチェは、弟子、信衆達と共に食事する機会を下された。法王はお手ずから寶吉祥の弟子に一枚の記念コインをお授けくださった。記念コインには八吉祥の図案が掘られていた。数人の弟子とツアーリーダーは、法王から賜った甘露丸を領受した。法王の貴重なお時間と体力を無駄にしないため、この時リンポチェは法王の傍に付き従い、弟子達が法王から賜る時、跪く必要はなく、膝を曲げるだけでよいとご指示くださった。しかしそれでも、一人の弟子が指示に従わなかったため、リンポチェは強く叱責された。

午後3時半、リンポチェは弟子達を率い、落成したばかりの寺院へ礼仏へ向かった。寺院の大殿中央壇城は円形に設計され、主尊は釈迦牟尼仏で、周囲をリンチェンドルジェ・リンポチェが供養された八大菩薩が取り囲んでいた。その姿形は優美で姿態は荘厳であった。リンポチェは弟子達を率い仏の周囲を三周し六字大明咒を持誦した。

続いて、一行は最上階へ登った。最上階中央には巨大な金色の金属の球体があり、球体表面は小さな水晶球で覆われていた。弟子達はリンポチェに従い球体を巡り、六字大明咒を持誦した。リンポチェの慈悲なる法音は虚空に遍く満ちた。

持咒後、弟子はリンポチェの開示を謹んで拝聴した。「この球体は法王が設計されたものだ。台北101の耐震ダンパーからインスピレーションを受けられたということだ。顕教において、これは釈迦牟尼仏頂髻上の摩尼宝に当たるものだが、密法においては多くの含意がある。球体の下層は大殿釈迦摩尼仏像の頭頂である。これを仏の頂上に置き繋げることで、仏の法身、報身、化身の三身合一を意味する。

一般に仏教寺院には二つの門があるが、ここには四つある。古代の寺院の門はすべて四つだったのだ。アンコールワット、バングラデシュの寺院も四つある。現在、四つの門を持つ寺院は非常に少ない。学仏は生老病死を解脱するためであり、個人の感情、個人の心情のためのものではない。自分は短気なので学仏したい、という人もいる。気性をよくしたい、気持ちを落ち着かせたいなら、空を眺めて、心理学を学べば、良くなるだろう。学仏する必要などない。生老病死を解脱するためには仏法しかない。他のいかなる方法であろうと無理だ。そのため、この四つの門は、顕教においては生老病死を意味し、密法においては四つの法、四つの次第を意味する。この密法の部分については講じない。

法王はなぜ舍衛城に寺院を建立されたのか。みな知っておろう。舍衛城は釈迦牟尼仏が晩年の25年を説法した場所だ。昨日赴いた祇園精舍はかつて釈迦牟尼仏がお暮らしになった場所だ。祇園のあの古い関房はどれもとても小さいのに気づいただろう。毎日小部屋に籠っていたのだ。古代の出家衆は、そなた達のように恵まれていただろうか?好きなだけ食べられていただろうか?理解するのをゆっくり待っていてもらえただろうか?在家の者たちもとても良い暮らしをしている。リンポチェを見ればすぐにストレスを発散する。これらはみな仏法ではない!そのため今日、法王は舍衛城にこの記念塔を建立されたのだ。私達、直貢噶舉のためだけではない。以後すべての教派、すべての仏教の宗派がここに来ることを願っておられるのだ。

舍衛城に建てられている寺で最も多いのはタイの寺院で、次は韓国のだ。タイは小乗仏法、阿羅漢を修める。以前彼らは釈迦牟尼仏のお側の出家衆はすべて修阿羅漢だと考えていたが、実はそうではない。修阿羅漢だけなら、『寶積経』と後の大乗経典は出現しなかった。実は彼らは出家相を現しているだけなのだ。
法王がここに記念塔を建立されたのには、非常に重要な意義がある。釈迦牟尼仏が後に開示された大乗仏法はすべて舍衛城で宣説されたものだ。当初仏が宣説されたのは小乗仏法だった。なぜ先に小乗を説かれ、後に大乗と金剛乗を説かれたのか?仏陀が6年の閉関を終えられた後、初めて済度したのは、かつての侍者6人だった。インドはかつて苦行が流行していた。社会を離れる必要があるため、侍者達に大乗仏法を説いたが、彼らは聞き入れず、また理解できなかった。そのため、仏陀は彼らの修行に適した方法で、先ずは四聖諦法と十二因縁法を開示されたのだ。だが、後には在家衆が多くなり、めちゃくちゃな言い方がどんどん増えていったので、または気持ちが落ち込むと言って、リンポチェに愚痴をこぼすような、この手の在家衆が増えたからだ。これらは仏法ではない。現在私は『寶積経』を開示しているので、仏が何を説かれたか、みな知っているだろう。そなた達の心を改め、心を調整しなければならない。法王は昨日また、欧州で『寶積経』を開示するよう私に仰せになった。欧州で修行しているのはみな在家衆だからだ。

つまり、法王がここに記念塔を建立されたのは、釈迦牟尼仏が晚年、大乗と金剛乗仏法を開示宣説されたのを記念するためなのだ。それだからこそ、そなた達も仏法の救いを受けることができる。よって今日、私達は聖地観光に来たのでも、功力を増すために来たのでもなく、来れば仏の加持が得られるというのでもない。帰国後、自分は釈迦牟尼仏の聖地へ行ったのだと言って、驕ってはならない。

一人の弟子がリンポチェの開示時に、頭を上げて上の方をずっと見ていたので、リンポチェは叱責なされた。「私は今ようやく分かった。そなたの家の者が言うことを聞かないのは、そなたが先頭に立って不信だからだ。仏法を開示しているのに、そなたはずっとあちこちを見ている。それは私が講じる仏法が、そなたと無関係だと言うことだ。それなら、旅行会社に返金させようか?先ほどはひたすら屋根を見ていたが、屋根に何があるのだ?そなたの家は建築を生業にしている。そなたは建築設計を見学に来たと思っているのか?何か意見があるなら、私に言うがいい。法王に報告申し上げよう。ここには全部で百人あまりいるのに、そなただけが上を見ている。そなた達一家全員が良い暮らしができるように、釈迦牟尼仏がそなたに加持に来られるとでも思っているのか?そなたの心が三寶に在ったことはこれまで一度もない。心はただ子供、仕事、資産、夫のことだけを考えている。そなたの二人の息子は私が救ったのだ。一家揃って私に加護を求めている。どれだけの価値があるのだ?私はこれから一つずつ計算しよう。そなたを叱責しようと長い間考えていたが、そなたの心が誤っているので、釈迦牟尼仏の場所に来て、そなたは暴かれた。そなたを叱責する機会ができたのだ」

リンポチェは開示を続けられた。「よって、法王は世間のすべての宗派の境界線を打ち破り、大事を行う人に門戸を開かれたのだ。世界のどこへ行かれても、法王が目にするのは仏法だ。そなた達が目にするのはただの耐震ダンパーだが、密法を学んだ人が目にするのは、それだけではない。なぜ最上階に置くのか。それには深い意味があるのだ。

法王は多大な心血を注がれ、寺院を建立された。そなた達の上師、リンポチェは200万ドル余りを供養し、そしてようやくそなた達を連れて来ることができた。自分は旅行代金を払っている、と考えているだろう。実は旅行代金をすべて足しても、法王への供養には足りない。自分は供養したなどと思わないことだ。

大殿中の釈迦牟尼仏像の周囲を、立姿の八大菩薩聖像が取り囲んでいる。ある年、法王に従いネパールの仏像店へ行ったが、その際に法王はこの八大菩薩の聖像をご覧になり非常に気に入られたので、私が法王に供養申し上げたのだ。法王はもともと八大菩薩をニュージーランドに置かれていたが、因縁が備わっていなかったので、後にここへ送られたのだ。そのため、供養の心がありさえすれば機会はあり、最後の果報は非常に大きいのだ。行ったことがありさえすれば、功徳は常に持続するのだと、これから知ることができる。 (この時法王の侍者であるラマが入ってきて賛同し、歓喜の拍手をしてリンチェンドルジェ・リンポチェを賛嘆した!)


この八大菩薩は表面的に見れば八大菩薩だが、実は非常に広く、非常に深い意義を含んでいる。法王は特別にニュージーランドから運んで来られ、自分の寺には置かず、ここに安置している。たくさんの人々が八大菩薩に触れられるようにするためだ。いかなる修行法門であっても八大菩薩を離れることはないため、私達がどれかの菩薩を専ら修めていなくとも、ある法門は八大菩薩と必ず相応する。
よって法王は仏塔を建立し、八大菩薩像とこれら古代の建築風格を供奉することで、仏法が何を説くのかをお教えくださっているのだ。その含意は、あまりにも多い。法王は龍などの中国の図案、中国の職人の手による琉璃瓦、大殿には日本式図案も用いておられる。法王はこの地を用いて、広大な衆生と善縁を結ばれたのだ。この一生で彼らを済度させられるかは分からないが、少なくとも彼らと結縁することはできた。『妙法蓮華経』で開示するように、仏像に対して恭敬行礼でありさえすれば、すでに成仏道なのだ。「すでに成仏道」とはお辞儀をすれば成仏できると言うことではなく、すでに学仏の路を歩き始めていると言うことだ。

法王はこんなにも多くの時間、心血、金銭を費やし、こんなにも辺鄙なところに寺院を建立なさった。それは法王が仏法、衆生に対して尊重の心をお持ちだからだ。密宗が最も重視するのは縁起だ。この区域は大乗仏法の縁起だ。この縁起が起きたので、以後は大乗仏教も金剛乗仏教もより広大な衆生に利益することができる。小乗がよくないと言う意味ではない。誤解しないでほしい。ただ小乗仏法が衆生に利益する力と範囲には限界があるのだ。大乗と金剛乗能は無辺無際の衆生に利益できる。法王がここにセンターを設立されたのは、絶対に非常に深い含意があるのだ。私は法王の弟子だが、一つか二つしか理解できない。法王は私に、他については告げられない。ただ「これは101のチューンドマスダンパーを見て思いついた」と仰せになっただけだ。法王は今後もここでたくさんの行事を行われる。昨日聞き及んだところでは、法王はここにグリーン・シティを建設するお考えだ。因縁、力、能力がある者が継続して法王の満願をお手伝いすることとなろう。私達は弟子として一人一人、自分の心力を尽くして、仏法内において絶えず進歩していこうではないか。

しかも、法王はすでに私が寺院を建立しようとしている事を広く宣説されている。こうなったら建立しないわけにはいかない。法王は世界各地で、これは今後、世界最大のチベット寺院となる!とお話になっておられる」と開示なさり、聴衆は熱烈な拍手で応えた。リンポチェは「拍手など要らない。そなた達の内の多くの者は護持する資格はない。みなここに来た。それは真に価値のあることだ!人生でこのようなところに来る機会は何度もあるものではないからだ。また、来られたとしても、尊勝なる直貢チェ・ツァン法王がお連れくださるとは限らない。昨日私達は釈迦牟尼仏の居処を訪れた。もともと法王は私にみなを率いて『心経』を念じさせようとお考えだったが、いくらか事情が変化し、昨日私達は別のものを念じた。つまり、あらゆる瞬間に仏法を尊重しなければならないと言うことだ。先ほどみなを率いて六字大明咒を念誦した。それは咒語によりこの寶塔、この寶地を加持したのだ。こうして衆生は仏法に触れ続ける機会を得られる!

先ほど大殿を通り過ぎた時、他のリンポチェが信衆に開示していた。あとで通る時、もしまだおられたら、邪魔をしてはならない。私達は釈迦牟尼仏に一度頂礼して離れるのだ。大殿の外には、回廊庇の周囲にマニ車が設置されている」と開示なされた。リンポチェは続いてみなを率い大殿一階へ行き、大殿外回廊庇のマニ車を巡り、慈悲なる法輪を回した。

リンポチェが法会会場を離れられる時、たくさんのチベット人、地元のインド人、開光式典に参加した他の台湾信衆がみな先を争ってリンポチェを取り囲み加持を求めた。その中に、台湾から来た病苦を抱えた九十歲代の老人がいた。リンポチェがすでに上車されたのを目にし、人波を押しのけて前へ出てリンポチェに加持を求めた。リンポチェは非常に慈悲深くも加持を送った。

続いて、リンポチェはみなを率いて、再び祇樹給孤独園を訪れ、阿難菩提樹に至った。リンポチェは菩提樹下に安座され弟子達に禅定について開示された。

私達はここで坐禅を行う。直貢噶舉派の禅定は修大手印だ。 小乗仏法なら、いわゆる初禅、二禅、三禅、四禅だ。両者の違いは、小乗の禅は、わずかな不注意で非想非非想天を修めてしまう点だ。

禅定とは、念頭もなく考えもない、と言うことではない。何も考えず、座禅して不動なら禅定だと言うものではない。禅とは私達の複雑な心をシンプルにするのだ。注意力を集中させる。定はある境界を指す。また一呼一吸の間だ。息を吐き出し、息を吸うまでの、ほんの一瞬には念頭がない。そなた達が感じるのは難しいだろう。呼吸の時間を引き伸ばせるなら、人は必ず長命となる 。

小乗仏法でも生死を解脱できる。だが小乗修行では必ず出家相を現さなければならない。仏陀が晩年に説かれたのは大乗仏法と金剛乗だ。それは在家衆も修行できるようにするためだった。だが、大乗仏法と金剛乗を修めるには、必ず菩薩道を修めなければならない。
禅定とは感応を求めるのではなく、または自分の功力を増やすのでもない。感応があれば、それは禅定ではない。仏が開示された『楞嚴経』、『金剛経』、『楞伽経』では、禅定で遭遇する境界について講じている。私達は持咒、守戒、座禅等の仏法学習を通じて、自分の定の力量を高めるのだ。

禅定を学ぶ資格は、そなた達にはまだない。そなた達にとって、念頭がないとはあり得ない。先ずは静まることを学ぶべきだ。静まる過程で、自分の妄念を感じ、自分の妄念がどこから来るかを知ることができる。私達の妄念はすべて煩悩からくるのだ。煩悩とは空性であり、煩悩は因縁法でもあると理解しなければならない。煩悩があってはならないと言うのではない。煩悩が要らなければ煩悩がないと言うのではない。煩悩とはすべて自分自身の妄念から来ており、外から与えられるものではなく、一切すべては自分の心の問題なのだと知らなければならない。仏法を用いて自分の生活習慣を変えれば、煩悩を減らせ、仏法を学習することで、子供、仕事、身体、財富のためではなく、心を生死解脫、求生浄土に置くことができる。

仏陀の化身はすでにこの世にないが、仏はかつて開示くださった。仏の法運は12000年続く。この時間は私達が修めるには十分だ。私達は今日ここに来る機会があり、釈迦牟尼仏の気に少しは触れられた。みな背筋を伸ばして座るように。胡座をかける者は胡座をかけ。心中では自分が修行する本尊を観想せよ。上半身はまっすぐにする。だが、力を入れて腰を無理やり伸ばす必要はない。肩を下ろして顎は少し引き、舌は上顎につけ、手は定印を結ぶ。目を開いていることができないなら、少し下を見る。目を閉じてはならない。静坐を始めよう。
リンチェンドルジェ・リンポチェに率いられ、みなは菩提樹の下で暫く静坐した。終了後、リンポチェは、静坐のすべての功徳を十方法界の一切の衆生に迴向するよう指示され、続いて『求生極楽浄土祈請文』を3度唱誦された。

リンポチェは開示を続けられた。「『阿彌陀経』では、浄土に往生するには福徳因縁がある善男子善女人でなければならないと言う。仏はどれだけの福徳因縁が要るかは仰せでない。なければならない、と仰せだ。それはひたすら絶えず行わなければならない、と言うことだ。仏法と関係のあるあらゆる事は、私達の福徳因縁累積を助けてくれる。私達は今日、因縁福報があり、この地に来ることができた。それは、過去世で学仏したことがあると言うことだ。福報とは絶えず累積しなければならないのだ。これだけやれば十分だ、と言うものではない。なぜ絶えず行わなければならないのか?それには二つの理由がある。一つは、絶えず因縁福報を累積しなければ、浄土に往生できないからで、もう一つは広大な一切衆生に利益できるからだ。

『寶積経』中で、どうすれば西方極楽世界に往生できるのか、と彌勒菩薩は釈迦牟尼仏に開示を求めておられる。彌勒菩薩はご自分の浄土をお持ちだ。だが、末法時代の衆生のために仏に開示を求められたのだ。釈迦牟尼仏は、衆生がどのような法門を修めようと、すべての功徳を西方極楽世界に回向すれば、必ず浄土に往生できる、と開示くださった。

ここが私達に教えているのは、捨てることを知らなければならないと言うことだ。外道は、人と分かち合えと言うだろう。一般の人にとって、分かち合うことは、すでに十分難しい事だ。だが、仏法が言うのは分か合いではない。仏法が説くのは捨てることであり、与えることだ。すべてを与えてしまい、自分はすっからかんになれ、と言うのではない。重要なのは心だ。捨てるを知る心だ。捨てることができなければ、執著を断ち切ることはできないからだ。四無量心中でいう最後の一言は「愛憎の心を捨てて平等の心に住する」だ。つまり好きであろうと、嫌いであろうと、すべて捨て去らなければならないのだ。なぜ与えなければならないのか?それは、この一生の福報は使い切らないとしても、必ず消えてしまうからだ。在世の際に捨てられないとしても、死ねば、すべての財も富も権勢も持っていくことはできない。法会に来て、今後なんらの悪いことも発生しませんように、と願う人がいる。 懺悔に来て、懺悔後は悪いことが起きませんように、と願う人がいる。これらはすべて幸せを求めている。そなた達がやはり利己的ななら、学仏と言うものは、そなた達と少しの関係もない。

続いて、リンポチェは、心中で釈迦牟尼仏の聖號を黙念しながら菩提樹の周りを3周するよう、指示された。

舍衛城の人民は既に阿難菩提樹を仏陀の御身として見られ、その周りに柵で囲った。通常では団体は菩提樹の下に止められない。但し、リンポチェは皆を率いて、菩提樹の下に長く静坐できた。更に皆に木の周りを回る因縁を賜った。極めて殊勝で得難いので、弟子達は誠に感謝を申し上げた。リンポチェは常に衆生のため、一切善縁を作り、ひたすら絶えずお教しえくださり、いつでも苦言を呈してくださる。皆は恥じを感じ、心中には深い懺悔が沸き起こり、依教奉行の決心を誓った。

殊勝なる禅坐指導と開示を終え、リンポチェは弟子達を率い祇園精舍を離れられた。この時、菩提樹下には寶吉祥の弟子の他、別の地区から来た、違う言語を使用する信衆、修行者も集まっていたが、彼らはみなリンポチェに恭敬合掌したので、リンポチェも微笑み合掌なさった。大修行者の風範は賛嘆せずにはいられない!

2018年11月2日(金曜日)
この日は舍衛城を立って、デリーへ戻る。朝Pawanホテルで朝食を済ませた後、ホテルの調理人、ウェイター、ウェイトレス、警護スタッフ約30人余りが、リンポチェに加持を求めた。リンチェンドルジェ・リンポチェは手に金剛杵を持ち慈悲深くも衆生の願を満たすべく、一人一人に加持を下された。

正午ラクナウのホテルでの食事の際に、リンポチェは冷めた麵を召し上がった。そして、弟子達が食べたのも冷めたのではないか、弟子の健康に悪影響が及ぶのではないかと、非常に心配され、ホテルの支配人に尋ねられた。これから、リンポチェが弟子に深く心を配られ、また旅行会社の製品の質を非常に重んじておられることが分かる。これらさまざまな事から、リンポチェが身を以てお教えくださることを、弟子たちは深く学んだ。

2018年11月3日(土曜日)
夜、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは一行を率いデリーから飛行機で台湾へ戻った。リンポチェの加持と庇護の下、誰もが平安に帰宅でき、インド巡礼は円満で順調であった。

今回のインド行で、法王に対する上師の至尊至敬、至恭至孝を弟子は目にした。また上師の、機会を捉えた適切な教え、喜怒を目にした。上師のすべては仏法なのだ!特に祇園で夕陽が照り映える中、古稀を過ぎておられながら、依然として溌剌と活気に満ちたお姿を目にし、六道で輪迴するあらゆる衆生を憐れみ、仏法のために一生を捧げておられるのを深く感じて感動し、また深く感謝した!学仏と言うこの路において、これ以上「一に疑い二に惑い三に不決定」でいられようか?

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2018 年 11 月 14 日 更新